大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター

共創ユニット発足準備シンポジウム

「『光x質量分析』の可能性」

 

2019年3月22日(金)13:00-19:00

大阪大学・理学研究科 南部陽一郎ホール

 

大阪大学ベンチャービジネスラボラトリー(VBL)の資産(220㎡の研究室にあった、フェムト秒レーザー・増幅器・光パラメトリックアンプ2セット+α、フェムト秒ファイバーレーザーなど、光科学関連研究機器群)が、産学共創本部より、理学研究科へと移管され、質量分析グループと、「光x質量分析」プロジェクトを立ち上げます。同時に、絶滅危惧種とされる装置開発型実験研究の根を絶やさぬよう、研究機器の試作を行い、研究技術を磨く、ネットワーク拠点を築きます。人、モノ、情報の交流する受け皿組織として、基礎理学プロジェクト研究センター挑戦的研究部門に、共創ユニットを発足させます。そのための準備会合、プレキックオフとして、幅広い関係者の方々を招き、講演とテーブルセッションを交えた交流会を企画しました。

 

プログラム

13:00- 特別講演

   「超解像蛍光イメージングと質量イメージングの融合による新たな生命科学の開拓」
          上田昌宏・大阪大学教授 

 

   「高強度レーザーによる溶液中タンパク質・ナノ粒子の集合と組織化」
          増原宏・大阪大学名誉教授

 

16:00- テーブル・セッション
      参加者持ち寄りで、話題提供いただきます。

 

18:00- 情報交換会

 

参加申し込みは、「こちら」からお願いします。

当日の飛び込み参加も歓迎します。

 

お問い合わせ: 大阪大学理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター
兼松泰男 kanematsu @ mail.prc.sci.osaka-u.ac.jp  (「@」を小文字にしてください)

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.33 No.05 2018-05

 

 

2017年11月8日午後5時半、大阪大学理学部。ついに理学の饗宴『しゅんぽじおん』で、その主題を「エントロピー」とするときがやってきた。

そもそも、ワインとチーズを楽しみながら、理学のキーワードを肴(さかな)にして、わいわい議論しようや、という会なのであるが、そこに「エントロピー」とかいう小難しいキーワードが現れて、はたしてワインを楽しむ余裕が出てくるのだろうか。

そんな不穏な雰囲気を感じながら、続々と研究者や大学院生が集まり始めた。

 

 

『しゅんぽじおん』も第4回を迎えたが、第1回「時間とは?」第2回「カオスとは?」、第3回「生命とは?」と続いたお題に比べると、「エントロピーとは?」はかなり敷居が高い気もする。

 

「う~ん、今回のお題はエントロピーですからねぇ」

 

と、私は隣りにいつも座っている基礎理学研究センターのセンター長の豊田さんに話しかけた。

 

豊田さんは、「どうなるんでしょうねぇ、とりあえずワイン飲みましょうか」と、のんきな答えである。

 

そのときわれわれはまだ、今回の講演が「エントロピーって難しい」派と「エントロピーって簡単」派の対決になろうとは、まったく想像もしていなかった。

 

今回の講演者は、物理学者の湯川諭さんと、化学者の中野元裕さんである。おふたりがミーティングスペースに現れたので、「今日の順番、どちらが先にします?」と尋ねてみた。そう、そんなことすらあらかじめ決まっていない、ざっくばらんな会なのである。

いろいろと相談したところ、ワインの酔いが回る前に物理学者の湯川さんの数式をみておいたほうがよいのでは、という至極真っ当な意見が出て、湯川さんが先に話すことになった(あとで思い出してみても、この選択はまったく正しかったのである)。

 

 

物理学者の「エントロピー」

 

   

 

登壇者:湯川諭氏

 

 

物理学者、湯川諭さん
「エントロピーって、難しいですよね、いろんな定義があって」

 

「こんにちは、初めまして。宇宙地球科学専攻の湯川といいます。橋本さんからメールをいただきまして、今日はこんな機会をいただきましてどうもありがとうございます。すでにもういっぱい飲んでしまって、何杯かわかりませんけども。いくらでもいただきます」

 

湯川さんも、ちゃんとワインを飲んでいるらしい。素晴らしいスピーカーである。皆、質問しやすくなるだろう。

 

「あの、じつは僕、この会に今日は初めて来させていただきまして、どんな感じか全然わからなくて、タイトルも何もなしで出てきてます(笑)。統計物理学を専門にしてまして、まぁふだんは非平衡の基礎のほうから、パターンとか交通渋滞とか、古典的な基礎的なとこからゲテモノのほうまで『非平衡』というキーワードでいろいろやってます。今日は『エントロピー』というお題で、ということなんで、最近のわれわれの業界で発展してきたこととかを含めて、まとめて10枚くらいスライドをもってきたんですけど、えっと時間は何分でしたっけ?」

 

聴衆から「プラスマイナス15分」という声が飛ぶ。

 

そこに聴衆から「マイナスもあるんか」のツッコミあり(一同爆笑)。

 

「僕、統計物理学者なんですけど、エントロピーって何かやっぱりよくわからない。ですね。わりと皆さんそういう感じの印象あるかもしれませんけど、やっぱりあの統計物理学を研究してるっていってもやっぱりわかんなくって。まあよく考えるとわかんないから統計物理学を研究してるのかなっていう気もしないではなくって、高校のときとか確率とか全然わからなくて、わかんないから統計物理を始めたというような気もするんです(笑)」

 

湯川さんにそういわれると、エントロピーが感覚的にわからなくても、ちょっと救われる気がする。

 

「いずれにせよ、どういう面でわからないのかなあということをつらつら考えてみると、たぶんですね、定義がいっぱいある、ということが問題なんですね。『エントロピー』って一言でみんないうんだけれど、定義がいっぱいあって。1番スタンダードなやつが、学部の1年生2年生ぐらいで習う『熱力学エントロピー』ってやつで、平衡状態に外からなんか仕事を加えたり、準静的に変化させたりしながら、平衡状態を移動させるということをやります。そのあいだに、準静的にゆっくりやりながら平衡状態を保つということをやりながら熱の出入りを勘定してやって、温度で割ったやつを積分したら、それが基準状態に対するエントロピーという量を与える、という定義です。これはクラウジウス(Clausius)が最初にいい出した、たぶん1865年くらいの定義ですね」

 

湯川さんは冒頭のスライド〈図1〉を指さしながら定義を説明した。次のページには、さまざまな定義らしき式が並んでいる。

 

〈図1〉 湯川さんのスライド「熱力学的エントロピー」「統計力学的エントロピー」

 

「ところが、そのうち3年生になると統計力学を習います。そんとき、じゃあ熱力学で習ったエントロピーってどう定義しますかっていうと、全然似ても似つかない定義が山ほど出てくるんですね。たとえばこの最初の式。

 

この式を出したのはボルツマン(Boltzman)が多分最初くらいだと思うんですが、文献とか人によってはこの式はエントロピーじゃないといっている人もいます。何でかっていうと、これは一体問題の式だから、という意見です。fΓ1)というのは1粒子の気体分子のエネルギーの分布関数です。ボルツマンはそもそもボルツマン方程式という一体問題の運動を詳細に運動論で研究して、その過程で、あの熱力学第2法則のようなことを考えるためにこのH関数を定義しました。Hというのはf log f の期待値ですが、これが単調減少するといいました。でもボルツマンの最初の式って、この一体問題の式だから、物理系として1つの系をみたときに、多体でそれが本当に全体の正しいエントロピーかどうか、っていうのはよくわからないですね。その後で、ボルツマンは正しい

 

 

という有名な式を出してます。僕の共同研究者からもらったボルツマンのお墓の写真をみると、お墓にはこの有名な式が刻まれています」

 

お墓の写真に見とれる聴衆。

 

Wというのは状態の数ですね。ミクロな立場の統計力学での、Wという勘定できる状態の数から、熱力学でいうエントロピーと対応関係があるんだ、というのを最初に出したのがボルツマンです」

 

みな、熱力学的なエントロピーと、統計力学的なエントロピーの式が等しい、という学部の頃に習ったことを思い出し、うなずいている。

 

「ギブス(Gibbs)も似たようなことをいってるんですが、多体系になっています。ボルツマンのもともとの話は、いわゆるミクロカノニカルアンサンブル、つまり、全エネルギーと体積と粒子数が保存しているときにWが勘定できて、それからSが定義できるっていうのをやったんですが、ギブスはもうちょっと一般的に、考えてる系の全体の分布関数を用いました。

 

つまり積分のこの引数はアボガドロ数個あって、これはエントロピーだと最初にいったのはギブスです。で、これはアンサンブルとは関係なくいつでも統計力学的に正しいので、ギブスがまあ一番最初に導入したということになります。1902年と書きましたが、これはギブスの教科書の出版年代で、一方ギブスがどの論文でいってるのか探したんですがわかりませんでした。このなかでもしご存知の人がいたら教えてください」

 

そこで聴衆から質問が入った。

 

「教科書で新しいことをいったっていう可能性もあるんですか?」

 

「あるかもしれないんですが、ちょっとそこは私にはわからなくって。ギブス論文選集とか洋書の古書とかもってるんですけど、そこにはこんな話は全然書いてなくて。1902年のは、有名な教科書ですね。いま、プロジェクト・グーテンベルクでpublic domainになってるんで、丸ごとダウンロードできます1)。TeXで製版し直されていて、すごく読みやすくなっています」

 

それを聞いて、メモする人もちらほら。

 

「その後にフォン・ノイマン(von Neumann)が、量子力学で

っていう話を出しています。これは最近の統計力学物理の発展では関係があるんですが、フォン・ノイマンの1929年の論文ってたぶんドイツ語で書かれてるんですけど、ずーっと忘れられてたんです。ノイマンは量子系が純粋状態でも熱平衡に緩和する、ということを議論してて、それがずーっと忘れられていました。2010年に発掘されて英訳されたのが、プレプリントサーバに上がって、知られるようになりました2)

最近の統計力学のトピックの1つで『純粋状態でどうやって熱平衡に緩和するか?』という問題があります。波動関数を1個だけもってきたときに、それが時間発展して熱平衡状態になって、ということを議論するんですが、じつはフォン・ノイマンが見つけてやってた、っていう感じ。このとき、フォン・ノイマンは対応するエントロピーを2つぐらい出していまして、問題ごとにどのエントロピーを考えるべきかという論文が3つくらい出ているんです。そういうところにもじつはエントロピーの定義の多様性というのがみえてしまっていますね」

 

ふぅむ、エントロピーって一言でいっても、いろんな定義や見方があるんやな、そりゃなかなか感覚的にはとっつきにくいはずやわ、という感想が心をよぎる。

 

しかし、湯川さんはそこに畳み掛けて、

 

「ところがまだエントロピーっていうのはありましてね」と笑いながら、「公理論的エントロピー」の説明を始めた。

 

たまらず、「それってどんなことで役に立つんですか?」という禁断の問いを僕は発してしまった。

湯川さんはニコリと笑顔で
「それがねぇ、いろいろと使われているようなんですよ」と答える。

 

その後、議論は熱力学第2法則、シャノン(Shannon)の情報論的エントロピー、そして情報熱力学へとつながった。適切に物理系の情報量を知るには、適切なエントロピーの定義と使用法が必要なようである。

 

そこで「ゆらぎの定理」が言及されるに及んで、僕は、隣りに座っている豊田さんにこっそり話した。

 

「次の『しゅんぽじおん』のテーマは『ゆらぎ』ですな」

 

湯川さんの1時間に及ぶ議論が、ワインを注ぎながら行われて、「エントロピーって結局何だろう?」の言葉が会場のあちこちで聞こえる。

そこに立ち上がったのが、今日2人目の講演者、化学者の中野元裕さんであった。

 

 

化学者の「エントロピー」

 

 

 

登壇者:中野元裕氏

 

 

 

 

化学者、中野元裕さん
「エントロピーって、簡単ですよ。測れるんですもん」

 

「こんにちは、構造熱科学研究センターからやってきました中野と申します。構造熱科学研究センターというのは、じつは38年前に創立された研究室でして、一番最初、僕が学生で配属された頃には化学熱学実験施設っていう名前でした。そのファウンダーが関集三先生で、湯川先生は最新の話題をされてましたけれども、僕はこの創立者の関先生の時代にわかった昔話をさせていただこうかと思います(笑)」

 

中野さんのひょうひょうとしたしゃべりに引き込まれそうになった。エントロピーの長い歴史は、化学の測定の昔話でわかってしまうのか、と皆、耳をそばだてる。

 

「まず、熱容量っていうのは、化学のほうでのいい方で、物理の人たちはたいがい『比熱』っていいます。化学の人たちが比熱っていいたがらないのは、なんでかっていうと、比熱は熱じゃないじゃんっていう理由でして(笑)」

 

たしかに、比熱は熱の種類とはちゃうやんなぁ、と会場の人たちもうなずいている。

 

「熱って何かっていうと、ある場所にあったエネルギーが別の場所へ移動したときに、移動した差分のことですよね。熱容量っていうのは、ある物質がもともともってる物性値で、熱の移動とかなんとか関係なしにもともとあるものなんです。で、熱じゃないのに、比熱っていうのは気持ち悪いな、っていうことで化学の人たちは『熱容量』っていういい方を使います」

 

こんなところにも、分野の常識の違いが現れるんやね。

 

「で、実際に熱容量を測っちゃうと、エントロピーを実測できるんです!エントロピーは実験的に決定できる、ということです。今日は、湯川先生が式がいっぱいの解説をされましたが、僕の話はそれが測定ですぐみえるという話で……」  

 

一同爆笑してしまった。湯川さんのさまざまなエントロピーの定義は、何だったんだろう?頭のなかがモヤモヤしつつも、中野さんの話にみるみる引き込まれてしまう。

 

「『エントロピー』ってこんなんか、っていうのが感覚的にわかってもらえればいいかなって思ってます。実生活上でのエントロピーをみてもらおうと思います」

 

会場から「おおっ」という声が上がる。「実生活上のエントロピー」って、魅力的な言葉や……。

 

「では、エントロピーの測り方を説明します。これは僕が4年生のときに使っていた熱量計です〈図2〉。断熱型という種類の熱量計で、原理は簡単です。熱の出入りがない状態でヒーターであるエネルギーを与えてやったときに、何度温度が上がったのかがわかれば、熱容量を計算することができる。そういうものすごい単純な理屈からできてます」


〈図2〉熱量計の構造図

「ここにぶら下がってますバケツのなかに熱容量を測りたいものを入れてやります。このバケツは、ヒーターと温度計のユニットにくっついているんですけど、そのユニットごと中空にナイロンテグスでぶら下げられてます。で、ここのヒーターでエネルギーを加えて温度計で温度の変化を読みとるわけです。そのときに熱の出入りがないようにするにはどうすればいいかということですが、熱が伝達するメカニズムとしては対流と伝導と放射があります。対流を遮断するには、まわりを真空に引いておけばいい。伝導っていうのは、十分に注意してリード線なんかを温度コントロールして温度差ができないようにしてやれば、ほぼ除くことができる。

あと、厄介なのは輻射なんですけれど、まわりに容器をつくって、容器の壁をバケツの壁と同じ温度にしてやれば、実質的に放射ではエネルギーを失わないということで遮断できます。外側の壁にヒーター巻いて、温度コントロールで『断熱制御』するんです。そうすると、電流で加えたジュール熱Qと温度変化ΔTが読みとれますから、 熱容量Cpは加えたエネルギーを温度差で割り算したもの、

 

 

というかたちで簡単に測れちゃうんです」

 

一同、静まり返った。反論なし(笑)。

 

「で、熱容量をずうーっと温度を変えながら測って、logTという横軸で、積分してやったのがエントロピーです。

 

 

ですから熱容量を1点1点下からずーっと計っていくと、簡単にエントロピーって測定できちゃうわけですよ。で、えっとこういう測定法で、『エントロピーってこれや』っていうたら終わりじゃないですか(笑)」

終わってしまった。みな顔を見合わせながら、ニヤニヤしている。

「昔から僕、本当にこれで計れてるのかなあ、これでいいのかなぁって思ってたんですけど、ちゃんと計れちゃうんですよねー。それをお見せしましょう」

中野さんはスライド〈図3〉を見せた。

〈図3〉 中野さんのスライド「エントロピーと微視的状態数」
文献3より。antiferromagnetic exchange interactionは、反強磁性交換相互作用。

「われわれの学生だった時代には大量のサンプルが必要で、このバケツの容積が14cm3、サンプルが10gとか欲しかったんですね。だけど、いまは単結晶1個ね。ミリグラム、マイクログラム、っていうサンプルがあれば熱容量が計れる時代になってきました。非常にいい時代です。で、これは僕が4年生のときに計った熱容量です。僕は化学の人なのでちょっと化学っぽい物質を使いましたけれども、『クロムの3核錯体』といって、クロム金属イオンが1つの分子のなかに3個ほぼ正三角形に近いようなかたちで入ってる分子です。

クロムのイオンの上には電子が3個あって、スピン3/2をもってます。真ん中の酸素イオンで架け橋されてると、スピンのベクトルがどっちを向いたほうが居心地がいいっていうのが、変化します。交換相互作用っていいます。その結果、スピンのエネルギー準位がばらけてくるという現象が起こります。スピン準位がどんなふうにばらけてくるかということを、スライドの右に模式的に書いてます。まず(I)、スピンとスピンのあいだの相互作用が正三角形のとき、対称性が高いから、あんまりばらけません。それがね、(II)でちょっとゆがんで二等辺三角形になるとバラバラってもっと割れてきます。今度は(III)、2つの分子に相互作用が起こってしまいますと、割れます。これを、先ほど湯川さんにお見せいただいた統計力学の式にポッと入れてやったら、熱容量が計算できます。このグラフの実線が、計算結果ですね。んで、グラフのなかでポチポチポチって打ってあるのが、実測データです。みていただくとわかると思いますけど、正三角形になるよって割れた部分、それから二等辺三角形になって割れた部分、それから、最後の2つの分子間の相互作用で割れちゃった部分というのが全部、きれいにみえてきて、こんなかたちで熱容量がパーンと合っちゃいます。横軸は温度のlogなので、このグラフの上の面積がそのままエントロピーになってるんです。湯川さんの話のなかの、一番わかりやすいエントロピーですね、出ちゃいました」

会場は爆笑に包まれた。

「で、(III)のところの面積を積分で求めてやると、R log 2 っていう値が出てきます。これは何でしょうか。じつは、エネルギー準位が2つに分裂してる。熱エネルギーが大きくなってきたときに、そのエネルギー準位が区別がつかなくなって、縮重しているってみえているときに、そのときもっているエントロピーがR log 2だよ、微視的状態数が2になったんだよということがそのまま実測のエントロピーとしてみえているわけです。(II)のところまでを同じように積分するとR log 12に一致します。最後の(I)まで積分すれば、スピン3/2の4準位が3つあるってことで43で64準位ありますから、R log 64になって、実験と一致します。なんかね、理論と合っちゃう!」

会場の盛り上がりが最高潮に達したとき、聴衆のなかに座っていた湯川さんが口を挟んだ。

「じゃあ、T=0でのエントロピーがゼロだという、原点を決める問題は、実験ではどう決めるんですか」

中野さんは優しい声で厳しく答える。

「気体の状態のエントロピーは、ザッカー-テトローデ(Sackur-Tetrode)の式というのがあって、わかってるんですね。それで、気体の状態から温度が一番下に下がるまで、ぜーんぶ熱容量を測ります。実験で上から温度を下げていくときに潜熱とか全部測って、わかっているエントロピーの値から引いていってやると、温度ゼロではエントロピーがゼロ、って測れることになるんですね」

おお、わかるんや……。

その後、ガラスの転移でエントロピーが測れる話など、中野さんはいろいろなおもしろい実験例を教えてくれた。

でも聴衆はまず、エントロピーが美しく実験で測定できているという事実を大変楽しんだようで、その後の例の詳細は、ワインを飲んだ僕には記憶が薄れてしまった。『しゅんぽじおん』ではいつものことである。ワインとチーズが入っているのだから。

ただ「エントロピー」という深遠そうな話題も、理学の饗宴の舞台に乗ってしまえば、こんなふうに「美味しく」料理されてしまうのか、ということについては、参加者一同の共通の感想なのでは、と思う。次回はもっと難しい言葉をテーマにしてみるのもよいかも? 

「エンタルピーでいこか?!」の声は、無視されたらしい。

参考文献

1) J. W. Gibbs: Elementary Principles in Statistical Mechanics (Charles Scribner’s Son’s, 1902);
プロジェクト・グーテンベルクのページはこちら:http://www.gutenberg.org/ebooks/50992.

2) J. von Neumann: Z. Phys. 57, 30(1929); R.Tumulka(trans.): Eur. Phys. J. H 35, 201(2010); arXiv:1003.2133(2010).

3) M. Nakano et al.: J. Phys. Chem. Solids 49,987(1988)

 

 

 

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ
Vol.33 No.22 2018-02

 

 

2017年9月29日午後5時半、大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に、議論好きの科学者が、ぞろぞろと集まってきた。

理学の饗宴『しゅんぽじおん』である。その案内文には、こうある。

 

「研究科内外の研究者(教職員や大学院生のみなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください」。  

 

まあ、一言でいえば、お酒で交流しながら理学のあらゆる分野の講演を聴いて、新しい研究のタネを生み出そうや!というイベントである。

 

早くも第3回を迎えたが、第1回「時間とは?」、 第2回「カオスとは?」に引き続き、第3回、ついに「生命とは?」のお題。

自分の研究を詳細に話してもらうのではなく、自分の科学観に基づいて、いただいたお題について議論のネタを提供する、そんなことがスピーカーには要求されてしまうのである。

「生命」といえば、理学部のなかでも生物学専攻の教員が登壇するのが当然であろう。しかし、それではおもしろくない。そこで、今回の講演者は、化学専攻、そして宇宙地球科学専攻のそれぞれから、1人ずつお願いすることになった。

 

はたして、化学や宇宙の研究者が考える「生命」とは、いったい?!  

 

会場には、若い大学院生の姿も多くみえる。細分化された理学のなかで、 壁を越えた先をみようという、

血気盛んな学生たち。頼もしい限りである。

 

 

 

 

化学者にとっての「生命」

 

登壇者:梶原康宏氏

 

化学者、梶原康宏さん

 

「梶原です。まあ今日はどうも録音もされてるし、冊子にもなると急にびびらされてしまって、10年くらい前に阪大に公募で来てですね、教授がウワーっと座ってその前でなんかしゃべって、ここでやっていけんのかな、って思ってたのを思い出してしまいました。もう皆さんお酒飲んでるからタチが悪くなるんではないかと今日は思っております」

 

(会場は爆笑)

 

 

「生命とは?僕、もともと有機化学なんで、できるだけ化学的な視点で眺めてみようかと思います。生命とは?って考えると、世のなかにはそれについて書いた有名な本があります。たとえば」 

 

そういって梶原さんは、ある岩波文庫1)の表紙を、一部分を隠してみせた。

 

「それって、シュレーディンガーの本?」 との聴衆からの声が上がる。

 

「そう、物理の人がここにおると思って、みせました。まあ有名な本です。それと、福岡伸一先生の『生物と無生物の間』2)。出版時には一般にはこういう本がわかりやすかったでしょうね。つまり、生物は複製する、というのが定義である、ということです」 

 

会場からは「まあ、そうやろな」といううなずきがみえる。

 

「化学からみた生命の話をしましょう。 2002年に制限酵素の発見でノーベル賞をとったスミス先生(Hamilton O. Smith)が、 2008年に、ケミカルに1DNAをつくって、生命体をつくろうという研究を始めたサイエンスの論文があります。バクテリアの58万2970個のDNA塩基対を人工的につくって、論文に出したんですね。うわ。すごいな、と。これ、化学ですよね」

 

「で、とうとう 2010年には、それでできた遺伝子をバクテリアの殻の中に入れたら、 DNAの複製が始まった3)。つまりCHEMISTRYで、生命体ができたっていうその最初のきっかけになったんですよ。だから、『化学で生命は語れるであろう』という発端になった論文なんですよね」

 

なるほど、化学者は、まず生命の根本である遺伝子を化学的に合成し操作することで、生命を理解しようとするのか。会場にはさまざまな分野の研究者が集まっていたが、自分の生命観との違いからか、もしくは化学による理解の進展への驚きからか、ざわざわとした雰囲気になった。

 

梶原さんはその雰囲気を察したのか、

 

「で、本当に理解できるか?っていうとまあ結論からいうとまあそんなに簡単ではないと、いうことです」

 

「遺伝子を化学で合成するだけではない、っちゅう話になるんですね?」と会場からの質問に、梶原さんは笑って 「そうです、そうです」と答えた。

 

「で、さっき冒頭でもお話ししたように、DNAで全部ヒトの設計図が描いてある、まあそれは間違いないんですけど、これ、そう単純じゃないわけですね。2004年にヒトのDNAが全部解読されて、まあ製薬会社もみんなこれが全部わかれば病気の原因も全部わかるからもうそれでバッチリだと思ったんですけど、そうは問屋がおろさなくて、この後いろいろDNAやできたタンパク質に飾りがついてさまざまな機能が発現していくということがわかったんですね。で、まあそういうことで、じつは生命は非常に複雑でDNAだけでは語れないということがわかってきた」 

 

梶原さんは懐かしい写真をとり出してきた。

 


昔懐かしいOHP用のスライド「トラペ」

 

「これ、何かおわかりになりますでしょうか。むかーしの人はわかりますよね。 OHPの資料が自分の引き出しのなかで束になってたんでもってきました。昔はこれでプレゼンしてたんですね。パワーポイントがないからこうやっていたんですね。こう、束にしておくとゴチャゴチャでわかんなくなって、あー、どのスライドだったかな?と探したりした懐かしい思い出があるんじゃないかと思います。たしかに、重ねてみるとわからない。でも、 1枚パッと引き出してみるとじつは、シンプルな化学反応の図が描いてあるんですよ。 1枚1枚とってもシンプルで、じつは生命体というのは、こういった非常に単純な化学反応が複雑に積み重なっていって突如、生命体になっているに違いないというのがまあわれわれ、化学者の考え方ですね」 

 

不肖僕も、学生のときには透明なOHPシートにマジックペンでセカセカと書いていたのを思い出した。ただし、こんなに汚くはまとめてへんかったけど (自負)。

 

しかし梶原さんの例は非常によくわかった。そしてその語りは続く。

 

「で、やはり生命体が複雑な理由を説明するのにわかりやすい例は、一卵性双生児なんですよね。たぶん、生まれて小ちゃい頃は、よく似てたんだと思うんだけど、だんだんこう、成長していくに従って、顔もお互い変わってくるんです。何が違うのかっていうとね、設計図は60兆個の細胞のなかにある DNA全部一緒で、何も変わらないはずなんですよ。でも、一番似てるはずの一卵性双生児のDNAにみられるように成長とともに何かが変わる。その発端を見いだしたのはガードン先生(J. B. Gurdon)で、 2012年に山中先生と一緒にノーベル賞とった人です。山中先生は、IPSで有名ですよね、で、その一方で、そのガードン先生のことは日本では、あんまり盛り上がりませんでしたよね。じつは、ガードン先生の実験が有名なんですよ」 

 

会場から「おぉー」という声。

 

 

「この人が、ノーベル賞の発端をつくった。カエルの卵をとってきて細胞の核を抜き、オタマジャクシの皮膚からとった細胞の核を、入れたんです。つまり成熟して皮膚になっちゃってる細胞のDNAを受精していない卵子の核と入れ替えて、受精させたんです。そしたら、オタマジャクシができてカエルになった。という実験を最初にやった人なんです。これは、何を意味しているかというと、 DNAのリプログラミングが起こったっていう証明になったんです」

 

リプログラミング、これ、梶原さんの話のキーワードになりそうだ。

 

「リプログラミングとは何か?卵子と精子が受精するまでは、それぞれ半分の染色体をもっていて、それ全部にじつは、まあある修飾が施されている。大人になっていくための、皮膚になれ、あるいは骨になれ、心臓になれ、肝臓になれ、まあ、歯になれ、そういう修飾、目印が入っているんだけど、その目印が、受精するときには、パッと消えるんですね。それをリプログラミングというわけです」

 

「ガードンさんの実験で証明されたということですか?」

 

「そうです。なんでそれが大事かっていう話をしましょう」 

 

梶原さんはスライド〈図1a〉をみせた。

 

〈図1〉梶原さんのスライド
(a)DNAの構造、(b)DNAのメチル化。

 

「DNAの構造をみてみましょう。染色体を全部バーっとひもといていくと、クロマチンというタンパクにDNAが巻きつけられてる。それをさらに解いていくと、DNAの2重らせんがみえてくる。つまりわれわれの細胞のなかでは、DNAはこういうかたちでいるんですね。そこでだんだんメチル化されていく。メチル基ってじつは非常にシンプルな化学構造をしています。

DNAは4種類の化合物でつくられているんですね。デオキシアデノシンとか4つあってそれぞれA、 T、C、Gというふうに文字でいわれているわけです。問題となるのはそのメチル化は、塩基の5位の位置に起きます。この〈図1b〉の右下に書いたように炭素1個、水素3個、という非常に小さなものがつくだけで、一卵性双生児のような顔の変化が起こってくるということになるわけです。生命というのは、DNAだけで決まっているわけじゃない。そこにメチル化があって、コントロールされているんです」

 

僕は梶原さんの話においてけぼりを食ったので、正直に「ちょっとわかんなかったです」と質問してみた。

会場は笑いに包まれたが、聞くは一時の恥である。

 

「メチル化っていうのは、1人の人間でもDNAの違う場所に発生するんです?」

 

「そう、細胞によって、メチル化の場所が違うから、骨になったり皮膚になったり、いろんなものに分化するんですよ。こんな例で説明しましょうか。ロミオとジュリエットの話で“O Romeo, Romeo wherefore art thou Romeo?” (ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?)という原作がありますよね。劇場で上演されるときには、このセリフが脚色されて、いろいろ変わってくるわけです。「ロミオ」を2回ではなく3回いったり、ね。それによって、劇のイメージが変わるわけですよ。一卵性双生児みたいにね。で、リプログラミングって、大もとの文章にもどるような感じですよね。この例で伝わりました?」

 

 

 

「なるほど、文章をDNAと考えると、わかりやすいですね。単語を落とした りすると意味が変わるわけやから」

 

「そう。それに、劇的な変化も起こってしまうことがあるんです。たとえばこの文章のなかの“art”のところに“f”がついて、 “fart”になったとしましょう。そしたら、『おなら』って意味になっちゃうんですよ(引用: N. Carey, The Epigenetics Revolution, Columbia Univ. Press;中山潤一訳『エピジェネティクス革命』丸善出版)」

 

見事な説明に、会場は爆笑。これで、リプログラミングの重要性が誰もの心にしみわたったようである。

 

そして、梶原さんは、いままで話したメチル化をはじめとする化学反応は、酵素というタンパク質がものすごい高速で働いて起こっているということを話した。 1秒間に10万回以上反応を起こすことができるそうだ。この酵素は、何やら遷移状態という反応が起こる瞬間の分子のかたちを維持することができるようだ。

 

「化学者には、この遷移状態の環境をガラス容器のなかで簡単につくれないので、生命システムに勝てないのだ」と梶原さん。

 

「DNAが生命体の道具である酵素をつくる指示を出し、そして3000種類ともいわれる酵素が、1つ1つ反応を間違えないように行い、それが複雑に絡み合って生命体になっているんです」

 

ふむ、生命の複雑さを一番よく理解しているのは、梶原さんのような化学者なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

宇宙物理学者の「生命」

 

登壇者:松尾太郎氏

 

宇宙物理学者、松尾さん

 

つぎに登場したのは、宇宙地球科学専攻の松尾太郎さん。

若手バリバリの宇宙生命の研究者は、「生命」をどんなふうに見ているんだろう。聴衆の僕らは、宇宙における生命探査がどんなに進んでいるかをこの後聞くことになるとは、まったく想像もしていなかった。

 

 

 

「10年前に私が学生の頃、『宇宙生命』とかいったらもう、頭がおかしい人みたいにみられましたね。でもいまは、もう、それが本当に天文学の中心になってます」

 

発展が著しい分野の先端のところを聞けるのは本当に嬉しいことである。

 

「で、まっ、簡単に自己紹介なんですけど、私は生命探査を本当にめざして10年間やってきてまして、とにかく独創的なアイデアを出さないと日本はたぶん勝てないというところであるので、そういう実験とか機械開発を中心にやってます!NASAが計画中の2020年に決まる宇宙望遠鏡のなかの1つのプロジェクトで生命の発見をめざしています。で、来年に NASAのエイムズ研究所に私のプロジェクトである宇宙生命探査装置が立ち上がります!なんで、いますごいワクワクしてると同時にですね、昨日寝てなくて、いまあの、やばい状態なんですが(笑)」 

 

松尾さんの飛ばしっぷりに、聴衆の皆さんの目が輝く。

 

「いま、宇宙生命という探査の観点から、宇宙における生命とはどういうふうにみえてくるのかっていうのを、お話ししたいなと思っています。で、まず、宇宙生命を探す意義を3つ、みていきましょう。

第1に、われわれは天文学からスタートしてますが、天文学っていうのは考古学なんですね。 137億年っていう宇宙が始まってからの歴史をみるので、その歴史のなかで、生命を探すのは歴史の最後の出口の部分をみるっていうことです。

で、第2には、生命の誕生と多様性を探る方法としての意義です。これまではおもに、顕微鏡で生命の誕生をみているわけです。 昨日ちょうど、Natureの雑誌をみてたらですね、日本の先生がいままでグリーンランドで発見されていた38億年前の生命の痕跡よりさらに1.5億年前以上の生命が発見された、という論文4)が出てました」

 

松尾さんはスライドでそのNatureの論文の写真をみせた。

黒いつぶつぶのようなものが写真にみえる。皆、首をかしげて、「えぇぇ、これで生命が発見されたっていうんですか?」

 

松尾さんは笑いながら、

「えっとですね、13Cと12Cの2種類の炭素をみたときに、生物は基本的に12Cを好むので、それがより濃縮している岩が見つかると、その炭素、生物がいる兆候の1つの指針と考えられるわけです。それがカナダで発見されたということのようです」

 

「すいません、それは化石なんですか?この黒いつぶつぶのかたちが生命のかたちだと思ってもいいんですか?」

 

そんな聴衆からの厳しい質問に答えたのは、聴衆のなかの太陽系年代学にくわしい先生だった。

 

「あれ自身は炭化物。中の炭素の同位体の比率がちょっと違うってことなんですよね」

 

ほほぅ、という声が上がった。松尾さんの話は徐々にポイントに近づいてきた。

 

「で、こういう顕微鏡から天体望遠鏡に行こうとしているわけです。また別の角度からの生命探査ができるだろうと期待してます。そこで、第3の意義として、しかも最近一番とくに動きがあるのは、『宇宙で私たちは本当に1つなのか?あるいはもっと生命がありふれているのか?』ってことです。宇宙で私たちは孤独なのか?これが、私の研究の強い動機になっています」

 

そうか、宇宙の研究者は、生命を宇宙で実際に探してやろう、「生命とは」っていう科学はそこからやないか、という、まさに科学者の立場なんやな、僕はそう思った。

 

松尾さんは、宇宙生命を探す方法を紹介し始めた。

 

「宇宙生命を探したいと思ったとき、3つの方法がありますね。第1に、太陽系内で探す。第2に、知的生命(宇宙人)を探す。第3に、遠くの惑星で生命を探す。今日の私のテーマは、第3のものです。その前に、まず第1をみてみましょう。つまり、地球がいかに特異であるか?ってことですね。まず、宇宙生命を探そうと思ったら、近くから探しますね。火星から始まって。たとえば、土星にエンケラドスという衛星があって氷に覆われてるんですけども、エンケラドスの近くまでカッシーニ衛星が飛んでいって、太陽光がエンケラドスの表面あたりで吸収される様子が撮影されたんです。われわれ、これを水柱とよんでいて、氷の下に海があって、周期的に氷が割れたり閉じたりして海から水柱をつくっているんです。最近では、エウロパっていう土星の衛星も同じように、ハッブル宇宙望遠鏡で水柱を検出しています。われわれもそういうのをめざして最近、すばる望遠鏡でとらえようとしています」

 

 

「で、第2の点をみてみましょう。宇宙人はいるのか?みなさん、SETI(search for extra-terrestrial intelligence)って聞いたことあるでしょう。ETを探すプロジェクトです。一番わかりやすい例ですが、特殊な電波を地球から発信して、特殊な電波を返してくれるはずだから、そういう電波を探そう、というものです。実際『ワオ!シグナル』っていう、それっぽい電波信号を受信したことがあるんですけど、ただそれが本当に知的生命なのかどうかっていうのは、まだわかっていません」

 

宇宙人の話になり、会場は一気に盛り上がり始めた。

 

「たしかスクリーンセーバーみたいにパソコンにインストールして全世界でやったよね」

 

「見つかったんやっけ?」

 

「どないしたら見つかったって決まるんやろ」

 

「ラジオみたいなん聞こえたらオッケーとか?」

 

松尾さんがそこに割って入り、

 

「特異なシグナルは観測されてます。ただし、それがわれわれの知らないような未知の天体からかもしれない。γ 線バーストとよばれるような高エネルギー天体がこういうことを起こす可能性はあって、そことの区別がつかないというのもあります」

 

「オバマは予算を継続したけど、トランプはどうしました?(笑)」

 

「それは、わかんないです(笑)。あ、でも、中国が結構そういう予算をかけていますね。ただ私の話はそっち方向じゃなくて(笑)、第3の方針、遠くの惑星で生命を探す、ってものです」

 

松尾さんは宇宙人談義を打ち切り、次のスライドを見せた。〈図2〉

 

〈図2〉松尾さんのスライド「惑星系の描像の変化」

 

 

「1995年以前は、私たちの太陽系しか知らなかったんですよね。太陽からの距離と質量のグラフです。これが、この20年で、いま、2700の惑星系で、惑星が3600個も見つかっているわけです。つまり、大変期待がもてる状況になっているんです。それに、ケプラー衛星というのが、惑星のサイズを正確に測ることができる。その統計によると、太陽近傍の恒星のうちの3割は、地球サイズの惑星をもっていることが判明したんです」

 

系外惑星の観測結果はそこまで進んでいるのか、と驚かざるを得なかった。

 

「2017年には、太陽から30光年先の恒星系で、7個の地球サイズの惑星が公転していて、3個は液体の水をもつ可能性があるというものが発見されました。これをトラピスト1(Trappist-1)とよんでいます〈図3〉。つまり、ようやく今年(2017年)、地球の近傍で生命を宿す可能性のある惑星が発見されました。ただし惑星の物理量、つまり半径や質量、主星からの距離、のみが推定されています。そういう惑星に対して、今後観測を詳細に行うことで生命が存在するかどうかを探っていく、そういう重要な時期にさしかかっています。

では、皆さんに問いかけをしたいのですが、宇宙のなかで、ほかの惑星上に生命を探すなら、何を探したらいいでしょうか?」

 

〈図3〉松尾さんのスライド「トラピスト1の惑星系」

 

僕の頭のなかは宇宙人モードで止まっていたので、いったんそれを白紙にもどし、考え始めた。まわりの聴衆も、「隕石かな」「もっと遠くの観測かな」などと相談している。松尾さんは、総括した。

 

「宇宙のなかで、地球が特異な点は何でしょうか? 私は、生物由来の酸素であるオゾンの存在、そして酸化と還元物質の非平衡状態にある大気、これらのスペクトル観測が決定的なのではと考え、NASAの大型計画でトランジット惑星のための分光装置を立案しているんです」

 

現在、太陽系外惑星の生命探査として、2020年に決まる4つの大型計画候補があるとのことだ。その望遠鏡が実際に動きだし、観測が開始されたとき、僕たちは宇宙に生命のたしかな痕跡を見つけだせるんだろうか。

 

 

松尾さんの講演の後も、松尾さんと梶原さんをとり囲んで、質問と議論が続いた。

 

ワインの時間にもかかわらず厳しい質問をされ、頭をかく松尾さん

 

 

「生命とは?」というテーマは、これまでもさまざまな科学者が挑んできたテーマに違いない。理学の饗宴『しゅんぽじおん』に参加する研究者や大学院生は、自分なりの科学観をもって来ているようだ。新しい科学の成果や、他分野の考え方を知り、自分の科学観を試すよい機会になっている。次回も、専門が楽しくぶつかり合う様子が堪能される会になるに違いない。

 

『しゅんぽじおん』は、徐々に解散するしくみである。

ワインも尽きた会場に最後までしぶとく残っていた6人は、梶原さんの

「あ?あ!このアイデア、いけるかもしれない!いけるかも!!」

という叫びを聞いた。

 

あの叫びがどうなったのか、次回の会場で梶原さんに聞いてみよう。

 

 

参考文献

1) シュレーディンガー:『生命とは何か―物理的にみた生細胞』(岩波書店、2008)

2) 福岡伸一:『生物と無生物のあいだ』(講談社、,2007)

3) H. O. Smith et al.: Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome, Science 329, 52(2010).

4) T. Tashiro et al.: Early trace of life from 3.95 Gasedimentary rocks in Labrador, Canada Nature 549, 516(2017).

第9回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー「崩壊」とはー」を2019年5月9日の17時半から教育研究交流棟(理学J棟)3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第9回目は、「崩壊とは?」をテーマに、山中卓氏(物理)、篠原厚氏(化学)がネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

ポスターは「こちら」。

第8回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー動的平衡ってどうー」を2019年2月4日の17時半から教育研究交流棟(理学J棟)3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第8回目は、「動的平衡ってどう?」をテーマに、川村光氏(宇宙地球)、兼松泰男氏(PRC)がネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

ポスターは「こちら」。

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛,フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.32 No.10 2017-10

 

 

2017年7月11日午後 5時半、大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に、議論好きの科学者が、再び、ぞろぞろと集まってきた。第1回『しゅんぽじおん』のおもしろさに味をしめた者たちだけではなく、新たに参戦する科学者たちも。これは、その実録である。

 

 

 

数学者が説く「カオスとは」

登壇者:盛田健彦氏

 

「私、コンピューター昔から苦手でね、カオスっていう分野を昔から研究しているにもかかわらず、コンピューターを使ったことがない」 

 

爆笑を誘いながら話を始めた盛田健彦さんは、大阪大学の数学者である。

 

数学者、盛田健彦さん

 

「若い人たちにいいたいのは、まず、苦手なものをもちましょう、とことん苦手でいけば、研究が開けるということです」

 

この言葉の真の意味を、後で知ることになるとは、この時点で誰も予想を していなかったはずだ。

 

「カオスっていうのは、ギリシャ神話の初めの神様の名前ですね。何もないところから、何かが出てくる、それがカオス」

 

盛田さんはホワイトボードに、カオスとは、についておもむろに書き始めた。

盛田さんがホワイトボードに残した、なぞの言葉

 

 

「カオスは、出口?入口?カオスは、始まり?終わり?直感的にいったら、始まりなんやけど、私の気持ちとしては、すべてのものはカオスで始まるんですよ。そして最後に、カオスに飲み込まれてなくなるんですよ。いいですか?」

 

一同、あぜんとして、盛田さんを見つめる。

 

「私が大学に入ったとき、山口昌哉先生のカオスの話を初めて聞いたんですよ。それから、力学系とか、エルゴード理論とか、そんなのをやってきました。当時の研究会では、いろんなカオスの話がありましたね。で、いまでも思い出すのは『BZ反応*1』。そう、こないだ、ニュースがありましたよね。水戸の高校生が、BZ反応が途中で終わったと思ってたら、しばらくたって、また始まった、って発見したんですよ」 

 

あー、ありましたねぇ、という声が会場に流れる。

 

「で、僕は数学者でしょ。数学者がそのニュースを聞いたとき、『あれ,何でいままでそんなこと誰もやらんかったんや?』っていう反応でしたよ。つまり、計算機で長い時間走らせたら、わかることですよね。でもじつは、昔は遅いパソコン使って計算してましたから、やらんかったんかもな、と。まあ、僕はコンピューター使いませんから、そういう見方です。昔からみんな、コンピューター使ってましたからね。僕は『リミット n→∞でがんばろう』と決めたんです」

 

なるほど、コンピューターを使わないというのは、真の無限大をとり扱うという意味だったのか。

 

「カオスの定義はじつは、本当は、ないんです。ある人は『無秩序』とよぶけど、そうではない。すべてのものを含んでいるから。カオスには 3つの条件があると考えてます。
第1に、シンプルで、何かあるぞと思わせるようなもの。人をひきつけるんだけど、やり始めるとたいへん、というやつね。たとえば、ローレンツアトラクター。あれだって、簡略化してああなっているわけです。いま思うと、気象なんて、どうしてあんな枠組みに乗るのか、不思議だなと思うわけです。簡略化していいものができると思ってやり始める、それが大事なんです。
2番目に、数値計算によって、時間発展の解が出てくるんやけど、うまくいかない。いっくらでも精度が必要になるんですね。まあ山口先生の言葉を使うと、『やっちゃいけないことをやりなさい』ですね」

 

会場が笑いに包まれる。

 

 

「想定外、ってやつですよ。ちょっと話がずれますけど、よく『ゼロで割っちゃいけない』っていいますよね。誰が割っちゃいけないっていいました? (笑)それは想定外なだけです。想定内にすればいいだけですよね。カオスの話に戻ると、想定外というのは、 『初期値鋭敏性』ってやつです。初めちょっとずれるだけで、時間がたつとすごくずれるんです。そういうもんやから、数値実験をくり返すと、誤差ではなくてダイナミクスの性質が効いてくるわけです。
で、 3番目の性質。ある状態を選んだとしましょう。別の状態から、時間発展をさせて、この状態にどれだけでも近づけることができる。英語ではtopological transitivityといいます。
この3つのことが成り立つとき、『カオスっぽいな,英語では “chaotic”』といいます」

 

会場から質問が挙がる。

 

「3番目のやつがなかったら、なんか悪いことあります?」

 

「悪いことはないと思うけど、人間、奇妙に思うことがあるでしょ。たとえば、デジャブとか。怖いでしょ。怖いものみたさで研究したくなるわけですよ」

 

「3番目のやつとデジャブとどう関係があるんですか?(笑)」

 

「デジャブっちゅうのはね、どっかでこの景色みたことあるな、似てるな、ってやつですよね。これは、ある状態の十分近傍に行くっていうことじゃないですか」

 

会場は「なあるほど」の声とともに笑いの渦に包まれた。

 

「3番目のはカオスじゃないっていうことじゃないんですか?秩序があるじゃないですか」

 

「そう、そう。カオスは、無秩序じゃないんです。秩序があるんですよ。大事なのは、カオスっぽいということを特徴づける指標が、計算方法が、必要やということです。同じところに戻ってくるというのは、質のいいランダムネスなんですよ。たとえばブラウン運動はランダムですよね。 3次元空間でブラウン運動すると、どっか行ってしまう。そうやなくて、有界な空間でランダムをやるのがおもしろい。ほぼ同じ状態に戻ってくるわけです」

 

「この宇宙は、どうですか?」

 

「それは、宇宙がどうなっているかにもよりますよね。たとえば、宇宙が2次元のトーラスやったとしましょう。あるところから出発して、まっすぐ、角度が2πの有理数倍ではない方向に直線運動したとしましょう。この運動は、稠密(ちゅうみつ)にトーラスを埋めつくすんです。そして、任意の点の近傍に、いつか必ず、何回でも到達するんです。そやから、自分が有界でない世界にいたとしても、ちょっと次元の見方を変えると、有界になったりするんですよ」

 

おもしろい例をおみせしましょうね、と盛田さんはいいながら、ホワイトボードに式を書き始めた。

 

 

「この式で、 0≦xn ≦1/2やったら『0』、 1/2<xn≦1やったら『1』、っていうルールで、 n番目の 0、1をどんどん生成していったとします。そしたら、世の中にあるあらゆる 0、1の列を再現できるんですよ。これ、テントマップのコーディングっていうんです。すべてのものが実現できてしまうんですよ。宇宙のすべてが実現されたら橋本先生は必要ないですよね」

 

突然、話を振られた私は思わず笑ってしまったが、後で思うと、否定しておくべきだった。時すでに遅し。

 

「しかも、与えられた数列がどこにあるかも計算できるんです。それが何回も現れるんですよ。デジャブですよ。つまり、これはさっきの『カオスっぽい』なんですね」

 

盛田さんのもち出されたシンプルな例は聴衆をうならせるのに十分だったようだ。

 

「僕が思うに、世界にはいろんな小さなカオスがいっぱいあって、そこから都合のいい部分、つまりあらゆる情報を含んでいそうな部分、をとり出せるような方法が、それが生物かもしれない。生物は、小さいカオスをつくりながら、それをとり出す。たとえば記憶なんていうのも、カオスをとり出しているという人もいますね。生物のカオスをとり出す能力を最大化しつつ生きているのが、われわれというものです」 

 

 

そうや、いや、そうやない、いや、そうや、と会場でいろんな意見がごった返すなか、大きな拍手で盛田さんの講演が終わった。

 

しかし、質問が相次ぐ。紀本さんが口火を切った。

 

「カオスの『形』を見つけるにはどうしたらええんですか」

 

「まあたいていの人は、コンピューターでやってみるんですね。でもコンピューターなくてもわかる数学者もいるんですよ」

 

「気象とかやと、初期値鋭敏性があるから、初めの状態についてアンサンブル平均とるわけですよね。そういうプロセスしかないんですか」

 

「エルゴード仮説でよく議論されましたけれど、全体的には安定なシステムであると仮定してやるわけですね。でも,どうしても小さくなりすぎると、実際の観測とか機械では限界がありますよね、数学的には限界はなくても。だから、平均化とか、そういうのは結局必要になるわけですね。カオスの性質をうまく利用して、情報をとり出すんです」

 

「ゆらぎの平均化は、プランク定数ですか?*2

 

「いろいろな試みがあると思いますね。量子的なカオスとか」

 

 思い切って、僕は尋ねてみた。

「入口とか出口とか、盛田さんの頭のなかではどうなってるか教えてもらえません?(笑)」

 

「出口か入口かはわかんないんですよ。どっちもどっち、とは思っていますけど、たとえば、可逆系のほうが非可逆系よりも難しい。始まりか終わりかも、わかんないね」

 

ますますなぞである。出口、入口、参加者の頭のなかにはいろんな絵が浮かんでいたことだろう。

 

 

*1 「ベロウソフ.ジャボチンスキー反応」のこと。ある種の化学反応で、振動現象が発生し、溶液の色がつぎつぎと移り変わる。カオス的なふるまいが観測される。

*2 測定のふるまいが一定値にならず、一定値のまわりをゆらいださまざまな値をとる場合、その原因として、量子的なゆらぎの可能性もある。量子論では、測定は確率的になるからである。もし量子論的なゆらぎなら、量子力学を特徴づける定数であるプランク定数が、ゆらぎの大きさを決めているはずである、という趣旨の発言。

 

 

 

生物学者の「カオス」

 

登壇者:藤本仰一氏

 

数学者の、まったくコンピューターも使わない講演の魅力にわれわれ聴衆は度肝を抜かれたが、カオスというものの本質を共有するには十分な時間だった。

もちろん、すでに全員がワインで酔っ払っているので,本当に理解しているのかはわれわれ自身にはわからないのかもしれないが。

 

 

盛田さんの講演のすぐ後、フルスペックのパソコンをとり出してきたのは、大阪大学で理論生物学研究室を主宰している藤本仰一さんだ。

 

生物学者、藤本仰一さん

 

カンパーイ、の挨拶から、藤本さんはいきなり,

 

「私はカオスに恩恵を受けて研究をしてきました。もっというと、研究人生そのものがカオスだ、と思っています」

 

(一同爆笑)

 

「人生がいかにカオスかという話がメインですので。まずは、 2重振り子っていう典型的なカオス現象があります。これは、さっき盛田さんがカオスっぽい、という言葉の 3つの性質をおっしゃっていましたが、 2番目の性質を簡単にみることができます。初期値鋭敏性ですね」

 

それを聞いて、私はすぐに質問してしまった。

 

「盛田さんの 3番目の性質はみえますか?」

 

「2重振り子の先端にLEDをつけると、運動の軌跡がみえるんですよ。それを録画してパターンを記憶させれば、みえるんじゃないですかね」

 

藤本さんの答えは、実際的な感じがする。本当にカオスの実験をいろいろとやってきたのだろうなと想像させられた。

 

「まず、カオスの歴史を振り返ってみましょう。旧約聖書の創世記の記述、そして荘子の内篇。湯川秀樹のエッセイにも使われています。物理と数学におけるカオスとはどんなものか、みてみましょうか」

 

藤本さんはスライドをみせた。

藤本さんのスライド「自然科学と工学に現れるカオス」

 

「ローレンツの方程式は、もともとはたくさんの変数があったんですが、最終的に3つの変数で、きれいなカオスが現れることを示したんですね。非周期的。実際に流体の実験でも、70年代頃から確かめられ始めました。水面の高さとか、そのフーリエスペクトルがピークをもたず、なだらかになってくる。そういうものが発見されたんです。

化学反応でも、さっき盛田さんの話で出てきたようなBZ反応にもカオスが発見されます。大きなスケールでみると、地磁気が反転する現象もカオス。黒が磁気が現在と同じ方向の時期で、白が逆の方向の時期です。岩石の磁性を測って、判明するわけですね。周期的ではないことがわかります。

振り子でも、強制振動を入れると、カオス的になる。これが、振り子の系での初めてのカオスでしょうね。あと,シャーレの中にマメゾウムシを入れて、世代を経て個体数をみると、グラフがガタガタする。ロジスティック方程式の離散化によって、モデル化できるわけですね。

こういったカオスで重要だったのは、『不規則性』ですね。たとえばローレンツは、論文の概要に『非周期的な解は小さな摂動を与えると不安定である』と書いています。それをきっちり証明したのがローレンツの業績ですね。これが盛田さんの第2の点です。それともう1つ重要なのは、完全にランダムではないということです。70~80年代の研究でわかってきたのは、何となく秩序があるということです。

たとえば、富田和久先生は、“ irregularity” (コヒーレントな不規則性)という観点からカオスの意義を唱えた。さらに、津田一郎と金子邦彦は、『複雑系のカオス的シナリオ』(1996)で、カオスは分析では理解できない何かを含んでいる。分析よりも『見る』ことにより、また『構成する』ことにより 理解されるものではないか、という考え方も唱えています」

 

 

突然、会場から質問が。

 

「みるのと分析と同じちゃいますか」

 

すると、ほかの声が上がった。

 

「人によって、みると違う感想がある でしょ。分析は、誰がやっても同じ」

 

藤本さんはそれを肯定して、

 

  「そうです、俯瞰(ふかん)してみたり、切りとってみたり、いろいろみれますよね。出たり入ったり、ガリバートンネルみたいな。そこが、カオスのおもしろいところでもありますね。僕はそういう、いろんな空間がどう組み合わさって、そしてそれを眺めたらどうみえるんだろう、そういう思いで、研究を始めました」

 

次のスライドに話を移した藤本さんは、いくつかの典型的な例を語り始めた。

 

藤本さんのスライド「流れに沿った乱れの増大と秩序の形成:移流不安定性」

 

 

「カルマン渦ってご存知ですよね。流れのなかに棒が立っていると、棒の後ろでは乱れが増幅するのだけれど、それが渦の秩序的形成を生んでいる。飛行機からもみえますね。物理的には、簡単な方程式でこのような現象をつくることができます。実世界でも知られていて、たとえば交通流。料金所から出てくる車の流れにはノイズが含まれている。で、車のダイナミクスは、前の車がブレーキを踏むかどうか、という簡単な原理で決まってくる。それで、 最終的に渋滞という現象が発生する」

 

紀本さんがボソッと、「寺田寅彦の世界ですな」と口を挟んだ。

会場にうなずく人が多い。

 

「あるいはですね、バイオロジーの系では、作用が 1方向に及ぶ化学反応をみると、似たような方程式が出てきて、ノイズの増幅が起こり、秩序的な構造が形成される。流れによるノイズの増幅が秩序を形成するんです」

 

「あのぅ、交通流の例で、秩序が形成されたというのは、何をもってそうわかるんですか」

 

「車の密度をみると、初めは均一だったのに、その均一さからゆらぎが、だんだんと不均一になって、渋滞が形成されるんですよ。その渋滞を秩序ってよぶわけです。もちろん、われわれ人間には、渋滞はイヤなもんではありますが、このコンテクストでは秩序ですよね」

 

いろいろなカオスの現象を教えてくれた藤本さんは、ついに、自分の人生にそれを重ね始めた。

 

「僕が M1だったときに、指導教官から毎日、『君は何に興味があるのかね』っていわれ続けていたんです。それで僕は、『人と出会い,少し相互作用して、また別れる、そういうのに興味があります』といってしまったんですね。そしたら、指導教官は『うーん,詩だなぁ』っていうんですよね」

 

会場から笑いが起こる。

 

「これは、カオス的遍歴に似ているということに気づいたんですよね。あるときには巻きついてしばらく滞在するんだけど、そのうちそこから離れていく。また、違うアトラクターにしばらく滞在する。いつ動くのかは、予想が難しい。人生は、カオスですよね」

 

名言や……と会場の皆が感心。

そして、何と、藤本さん自身のカオス的人生が赤裸々に披露された。

 

「大学院生の頃から、世界のいろんな場所を僕はウロウロしてきました。世界中にいろんな民族がいることとか、素晴らしいと思っていたんです。中国の黄土高原の農村社会の情報伝搬力学とか、土壌侵食パタン形成の力学とか、現地に行って研究を試みました。そのあと、カオスのサイエンスとアートとの融合も、試みました。川面に数値計算で生成したカオスの映像を写したり、とか」

 

くしくも、その後は、藤本さんのアート作品の上映会へと突入していった、第2回『しゅんぽじおん』。

藤本さんの人生のカオス度の高さに、会場は心を奪われていた。

 

理学の饗宴『しゅんぽじおん』は、さまざまな専門性をかき混ぜて、新しいプリンシプルという秩序を生み出そうとする場である。じつは、それはカオスそのものである、と、盛田さんと藤本さんは教えてくれた。

 

次回もどうなるのやら、楽しみである。

 

 

第7回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー状態とはー」を2018年11月12日の17時半から教育研究交流棟3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第7回目は、「状態とは?」をテーマに、藤原彰夫氏(数学)、尾田欣也氏(物理)が ネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

ポスターは「こちら」。

 

質量分析オープンイノベーション協働ユニットキックオフシンポジウム・蛋白研セミナー”質量分析の未来”が開催されます。

 

日時:平成30年3月9日(金)13時〜18時※ 10日(土)9時〜16時

※9日18時〜意見交換会が行われます

場所:大阪大学 豊中キャンパス 理学研究科 南部陽一郎ホール(理学J棟2F)
オーガナイザー:豊田 岐聡(阪大院理)、高尾 敏文(阪大蛋白研)

 

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■概要

平成30年3月9日(金)

趣旨説明 豊田岐聡

13:00-13:20 開催挨拶 中村春木(蛋白研究所)、永井健治(産学共創本部)

13:20-13:50 「質量分析装置開発のこれまでとこれから」豊田岐聡(理学研究科)

13:50-14:20 「当社が目指す質量分析計の可能性と未来」三木伸一(MSI Tokyo)

14:20-14:50 「イオン検出器の現状と今後の展開」小林浩之(浜松ホトニクス)

14:50-15:20 「先進質量分析法による環境物質その場測定 x 大阪大学での“ものづくり”と機器共用 = 科学機器リノベーション工作支援センター・単一微粒子質量分析・粒子化質量分析・プロトン移動反応ソフトイオン化」 古谷浩志(科学機器リノベーション・工作支援センター)

15:20-15:50休憩

15:50-16:20 「有機・無機系素材開発への質量分析の活用と技術課題」柿内俊文(旭硝子)

16:20-16:50 「次世代メタボローム解析技術の開発」 馬場健史(九州大学生体防御医学研究所)

16:50-17:20 「古くて新しい生理活性ペプチドの探索研究」 宮下正弘(京都大学農学研究科)

17:20-17:50  「質量分析で拓く宇宙地球科学の最前線 〜月に吹く地球からの風〜」 寺田健太郎(理学研究科)

17:50-18:20  「歴史文化芸術を科学する-新しいMultidisciplinary Scienceモデルの創造を目指して-」 伊藤謙(総合学術博物館)

18:00〜 意見交換会

 

平成30年3月10日(土)

9:00-9:30 「蛋白質構造研究の未来」 高尾敏文(蛋白質研究所)

9:30-10:00 「質量分析駆動型プロテオミクスについて」石濱泰(京都大学薬学研究科)

10:00-10:30 「1分子・質量イメージングの開発」 上田昌宏(生命機能研究科)

10:30-11:00 休憩

11:00-11:30 「メタボローム解析の歯周病診断への応用」野崎剛徳(歯学研究科)

11:30-12:00 「高分子モノリスの開発と前処理カラムへの応用」宇山浩(工学研究科)

12:00-13:00 昼休憩 

13:00-13:30 「機能性ナノ粒子を用いたレーザー脱離イオン化質量分析法」川崎英世(関西大学化学生命工学部)

13:30-14:00 「多様なイオン化法を組み合わせた質量分析計の応用」 上田祥久(JEOL)

14:00-14:30「走査型プローブエレクトロスプレーイオン化法の理解と応用」大塚洋一(理学研究科)

14:30-15:00 「環境をはかる」紀本岳志(紀本電子)

15:00-16:00 参加者全員ディスカッション

16:00 閉会挨拶 高尾敏文

 
 
 

第6回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー空間とはー」を2月23日に教育研究交流棟3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第6回目は、「空間とは?」をテーマに、長峯健太郎氏(物理)、高橋篤史氏(数学)が ネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

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