「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.
しゅんぽじおん—先生や生徒が一つの部屋に集まり、分野の専門家のお話を聞いて質問、討議をする「それぞれの専門知識を使ったお話の場」だ。
第9回目となる今回のテーマは「崩壊」である。話者は2人、物理学専攻の山中先生と化学専攻の篠原先生だ。私は1人目の話者である山中先生の話を聞きながら、見たこと感じたこと思ったことを書いていきたいと思う。
山中先生は物理科の中でも素粒子実験を行う実験屋さんであり、テーマ「崩壊」に合わせて先生が話されたのは素粒子実験屋にとっての崩壊、つまり素粒子の崩壊である。話の導入では平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声~」と突然の音読が入り会場も何事かと、先生とスライドに注目している。そして春の夜の夢のごとし、まで来ると次にきたフレーズは「重い粒子も遂には軽い粒 子に滅びぬ(元は猛き者も遂には滅びぬ)」。粒子の崩壊につながり、会場は笑いとともに拍手が響いた。重い粒子は安定していないと軽い粒子になってしまうのを詩になぞらえていたのは、素粒 子に理解の浅い私でもとても面白く感じた。
次のスライドで式と図が出てくると一番前に座っていた小学生くらいの男の子が先生に質問。まさか大学生と先生に紛れて小学生が参加していたとは思わなかったが、質問の内容も思っていた 以上にしっかりしていて驚いた記憶がある。先生もそれに対し真摯に答えていたので、小学生の方も納得してご機嫌だった。スライドが進むと次は粒子の崩壊にかかる時間、そして崩壊する際に ニュートリノと呼ばれる見えない粒子が崩壊の質量保存に関わっていることが説明された。物理 屋は粒子の崩壊の際に質量保存がされていないとは考えず、何か見えてないものがあるのだろうと いう発想になるのは普通の人にはない感覚なのかなと感じた。その後もパリティの破れの説明が図を用いて説明されたり、反粒子と呼ばれる物質があるんだよという丁寧な説明で素粒子をあまり知らない人にもわかりやすくなっていた。なるほど対称性が保たれていて良いなーなどと説明を聞いていたのだが、その説明の次にあらわれたのは「CPの破れ」、いわゆる対称性が破れてい ることもあるという説明だった。対称性を信じていた私は出たな例外!という気持ちになった。 この辺りの理解は難しかったが、物理も対称性がいつでも成り立たないということを理論に持ち出す段階になったのだろうということが推測できた。
中盤、素粒子研究者にとっては切り離すことのできない理論である「標準理論」の説明になる。 素粒子はこの標準理論によって説明されるのだが、まだまだ未完成であるという。どういうこと なのだろうと話を聞いていると、宇宙ができた直後の、宇宙の最初の頃には反粒子が存在していたのだが、今の宇宙には反粒子が存在しておらず、時間が経つ中でどこかで対称性が破れているこ とを示しているとのこと。この対称性の破れが標準理論では説明ができず、この破れを説明するた めの新しい素粒子理論が必要とされているらしいのだ。その新理論のための手がかりを、山中先生は実験によって探そうとしている。実際に先生が行っている実験の機材や方法が写真付きでス ライドで説明されたが、人より大きい機械に様々なプラグや機械を差し込み、実験している様子 を見ることができた。そんな人より大きい機械はなんのためのものなのかというと、γ線を正確 に検出するためのもので、その設定をするだけでとんでもないほどの作業になるらしい。機械を説明しながら先生は「この機械はこれだけプラグ付いているんですけど、2ヶ月弱くらいだけで済 んだんですよね」とおっしゃっていた。果たして2ヶ月弱の期間を「だけ」で済んだと言っていい のかその感覚がよくわからないが、装置によっては半年以上かけてセットを行うらしい。
会場内が「半年………?」と困惑した空気をだしていたが本当にその通りだと思う。
最後に素粒子物理学における崩壊とは「新しい素粒子物理を探る道具」と位置付けて先生のお話は終了。この後発表中にあった実験のデータの誤差評価や今後の予測についての質問が多く寄せられ、先生も細かく説明していた。
現在の理論である標準理論を正しいものを信じて疑わない、ということをせず、標準理論を超えて 全ての現象を説明しようとするための新しい理論を考える姿勢が、科学者としてすごく手本にな るなと感じた。
以上が主観的な、第9回しゅんぽじおんの感想である。
(文責:匿名学生)
前半の山中先生の講話とお酒に酔いしれ、場は温まっていた。
司会者が雑談で盛り上がる参加者に着席を促し、ようやく第9回しゅんぽじおんの後半が始まった。
「山中先生なら、ああいう話(粒子の崩壊)をするだろうと思ってました」
山中先生の講演を見越したような篠原先生の一言に、会場が笑いに包まれた。
化学専攻である私にとって、崩壊といえば放射化学。大阪大学で放射化学といえば、篠原先生である。
放射化学を取り扱う篠原先生の講演の始まりは、
“サブアトムの世界 と その歴史”
放射化学が今日まで辿ってきた軌跡を、黎明期から現在まで遡った。
「物質は何からできているのか」
人は太古の昔からこの問いに向き合い、その答えを探し続けてきた。私も、幼いころこんな類の哲学的なことを幾度も考えたことがある。結局、明確な回答を出せたことはないのだが、人類は長い歴史を紡いでいく中で一つの答え、“原子”にたどり着いた。それが、約2世紀前のことであった。しかし、放射能の発見により、その原子ですらも崩壊することがわかった。これが、素粒子論の誕生と発展へと繋がっていくことになる。これまで幾度も篠原先生の講義で聞いてきた流れだが、やはり人類は中々に凄いことをやってきたと感じざるを得ない。
素粒子といえば、大阪大学では湯川先生と中間子論が出てくる。
篠原先生も、
「日本は、湯川先生の中間子論を始め、素粒子の研究分野においては強い。」
と一言。やはり大阪大学の先生方(特に理学部)は湯川先生のことを、どこかで意識していると再確認した。
そして、篠原先生が原子炉と原爆の写真を見せながら
「放射化学は、原子炉があるがこれ(原子爆弾)もあるから難しい」
とポツリ。会場に笑いが起こりました。
次のスライドへ移り、ニホニウムが追加された最新版の周期表を見せながら、放射性元素について語りだす篠原先生。
周期表を眺めていた橋本先生がふと、
「第7周期が完成したことは重要なのか?」
と質問すると、篠原先生は
「いやあ。 でも、めでたいです」
と回答。このやりとりに、他の聴講者も笑っていた。
講義が中盤に差し掛かる頃、放射性元素の「放射壊変」の説明に入っていく。元素は結合エネルギーを持っており、それは原子核によって変化する。これにより原子核の安定性が決まり、重元素の放射性壊変や核分裂が説明されるのである。
「(元素が)放射壊変したら放射線がでる。多くの人がそこばかりに注目するが、その裏で残った原子(原子核)は偉い目にあっている」
と力説する篠原先生。私の頭は“?”で埋まってしまった。続きを注意深く聞いていくと、
放射壊変後に残った原子核は
・100keV位(化学結合なら切れてしまう位)の反跳を受ける
・α、β崩壊では、電子の再編成や励起が起こり、場合によっては化学変化を起こす
・γ崩壊では、γ線を放出してもエネルギーが余って高電状態になる
つまり、壊変後、残された原子核はボロボロになっているのである。私もこれまで、放射性壊変では、放出される放射線ばかりに注目していた。しかし、残された原子核にここまで色々な影響があり変化があると知ってしまったら、注目せざるを得ない。
篠原先生は、この“残され(ボロボロになっ)た原子核に何か面白い化学があるのでは?”と注目し、研究しているのだ。言い換えれば、これまでの“原子が安定不変であること”が前提の化学ではなく、“そういった前提が成り立たない条件下”での化学を研究されているのだ。
他に、超重元素領域の短寿命、極微量原子の化学的性質の測定やエキゾチック状態の原子の研究についても言及されていた。ここで、篠原先生の講演は終了。ここから、司会者が止めるのを躊躇するほど、参加者との議論、そして、参加者同士の議論が白熱していった。
篠原先生の研究は、統計学が成り立たない条件下での化学であったり単一原子の化学であったりと、かなり特異的な化学であったと思う。私がこれまで学んできたものが、ほとんど通用しないような世界があること、それを知ることができただけでも有意義な時間であったと感じている。
(文責:藤井匠平)