大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛,フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.32 No.10 2017-10

 

 

2017年7月11日午後 5時半、大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に、議論好きの科学者が、再び、ぞろぞろと集まってきた。第1回『しゅんぽじおん』のおもしろさに味をしめた者たちだけではなく、新たに参戦する科学者たちも。これは、その実録である。

 

 

 

数学者が説く「カオスとは」

登壇者:盛田健彦氏

 

「私、コンピューター昔から苦手でね、カオスっていう分野を昔から研究しているにもかかわらず、コンピューターを使ったことがない」 

 

爆笑を誘いながら話を始めた盛田健彦さんは、大阪大学の数学者である。

 

数学者、盛田健彦さん

 

「若い人たちにいいたいのは、まず、苦手なものをもちましょう、とことん苦手でいけば、研究が開けるということです」

 

この言葉の真の意味を、後で知ることになるとは、この時点で誰も予想を していなかったはずだ。

 

「カオスっていうのは、ギリシャ神話の初めの神様の名前ですね。何もないところから、何かが出てくる、それがカオス」

 

盛田さんはホワイトボードに、カオスとは、についておもむろに書き始めた。

盛田さんがホワイトボードに残した、なぞの言葉

 

 

「カオスは、出口?入口?カオスは、始まり?終わり?直感的にいったら、始まりなんやけど、私の気持ちとしては、すべてのものはカオスで始まるんですよ。そして最後に、カオスに飲み込まれてなくなるんですよ。いいですか?」

 

一同、あぜんとして、盛田さんを見つめる。

 

「私が大学に入ったとき、山口昌哉先生のカオスの話を初めて聞いたんですよ。それから、力学系とか、エルゴード理論とか、そんなのをやってきました。当時の研究会では、いろんなカオスの話がありましたね。で、いまでも思い出すのは『BZ反応*1』。そう、こないだ、ニュースがありましたよね。水戸の高校生が、BZ反応が途中で終わったと思ってたら、しばらくたって、また始まった、って発見したんですよ」 

 

あー、ありましたねぇ、という声が会場に流れる。

 

「で、僕は数学者でしょ。数学者がそのニュースを聞いたとき、『あれ,何でいままでそんなこと誰もやらんかったんや?』っていう反応でしたよ。つまり、計算機で長い時間走らせたら、わかることですよね。でもじつは、昔は遅いパソコン使って計算してましたから、やらんかったんかもな、と。まあ、僕はコンピューター使いませんから、そういう見方です。昔からみんな、コンピューター使ってましたからね。僕は『リミット n→∞でがんばろう』と決めたんです」

 

なるほど、コンピューターを使わないというのは、真の無限大をとり扱うという意味だったのか。

 

「カオスの定義はじつは、本当は、ないんです。ある人は『無秩序』とよぶけど、そうではない。すべてのものを含んでいるから。カオスには 3つの条件があると考えてます。
第1に、シンプルで、何かあるぞと思わせるようなもの。人をひきつけるんだけど、やり始めるとたいへん、というやつね。たとえば、ローレンツアトラクター。あれだって、簡略化してああなっているわけです。いま思うと、気象なんて、どうしてあんな枠組みに乗るのか、不思議だなと思うわけです。簡略化していいものができると思ってやり始める、それが大事なんです。
2番目に、数値計算によって、時間発展の解が出てくるんやけど、うまくいかない。いっくらでも精度が必要になるんですね。まあ山口先生の言葉を使うと、『やっちゃいけないことをやりなさい』ですね」

 

会場が笑いに包まれる。

 

 

「想定外、ってやつですよ。ちょっと話がずれますけど、よく『ゼロで割っちゃいけない』っていいますよね。誰が割っちゃいけないっていいました? (笑)それは想定外なだけです。想定内にすればいいだけですよね。カオスの話に戻ると、想定外というのは、 『初期値鋭敏性』ってやつです。初めちょっとずれるだけで、時間がたつとすごくずれるんです。そういうもんやから、数値実験をくり返すと、誤差ではなくてダイナミクスの性質が効いてくるわけです。
で、 3番目の性質。ある状態を選んだとしましょう。別の状態から、時間発展をさせて、この状態にどれだけでも近づけることができる。英語ではtopological transitivityといいます。
この3つのことが成り立つとき、『カオスっぽいな,英語では “chaotic”』といいます」

 

会場から質問が挙がる。

 

「3番目のやつがなかったら、なんか悪いことあります?」

 

「悪いことはないと思うけど、人間、奇妙に思うことがあるでしょ。たとえば、デジャブとか。怖いでしょ。怖いものみたさで研究したくなるわけですよ」

 

「3番目のやつとデジャブとどう関係があるんですか?(笑)」

 

「デジャブっちゅうのはね、どっかでこの景色みたことあるな、似てるな、ってやつですよね。これは、ある状態の十分近傍に行くっていうことじゃないですか」

 

会場は「なあるほど」の声とともに笑いの渦に包まれた。

 

「3番目のはカオスじゃないっていうことじゃないんですか?秩序があるじゃないですか」

 

「そう、そう。カオスは、無秩序じゃないんです。秩序があるんですよ。大事なのは、カオスっぽいということを特徴づける指標が、計算方法が、必要やということです。同じところに戻ってくるというのは、質のいいランダムネスなんですよ。たとえばブラウン運動はランダムですよね。 3次元空間でブラウン運動すると、どっか行ってしまう。そうやなくて、有界な空間でランダムをやるのがおもしろい。ほぼ同じ状態に戻ってくるわけです」

 

「この宇宙は、どうですか?」

 

「それは、宇宙がどうなっているかにもよりますよね。たとえば、宇宙が2次元のトーラスやったとしましょう。あるところから出発して、まっすぐ、角度が2πの有理数倍ではない方向に直線運動したとしましょう。この運動は、稠密(ちゅうみつ)にトーラスを埋めつくすんです。そして、任意の点の近傍に、いつか必ず、何回でも到達するんです。そやから、自分が有界でない世界にいたとしても、ちょっと次元の見方を変えると、有界になったりするんですよ」

 

おもしろい例をおみせしましょうね、と盛田さんはいいながら、ホワイトボードに式を書き始めた。

 

 

「この式で、 0≦xn ≦1/2やったら『0』、 1/2<xn≦1やったら『1』、っていうルールで、 n番目の 0、1をどんどん生成していったとします。そしたら、世の中にあるあらゆる 0、1の列を再現できるんですよ。これ、テントマップのコーディングっていうんです。すべてのものが実現できてしまうんですよ。宇宙のすべてが実現されたら橋本先生は必要ないですよね」

 

突然、話を振られた私は思わず笑ってしまったが、後で思うと、否定しておくべきだった。時すでに遅し。

 

「しかも、与えられた数列がどこにあるかも計算できるんです。それが何回も現れるんですよ。デジャブですよ。つまり、これはさっきの『カオスっぽい』なんですね」

 

盛田さんのもち出されたシンプルな例は聴衆をうならせるのに十分だったようだ。

 

「僕が思うに、世界にはいろんな小さなカオスがいっぱいあって、そこから都合のいい部分、つまりあらゆる情報を含んでいそうな部分、をとり出せるような方法が、それが生物かもしれない。生物は、小さいカオスをつくりながら、それをとり出す。たとえば記憶なんていうのも、カオスをとり出しているという人もいますね。生物のカオスをとり出す能力を最大化しつつ生きているのが、われわれというものです」 

 

 

そうや、いや、そうやない、いや、そうや、と会場でいろんな意見がごった返すなか、大きな拍手で盛田さんの講演が終わった。

 

しかし、質問が相次ぐ。紀本さんが口火を切った。

 

「カオスの『形』を見つけるにはどうしたらええんですか」

 

「まあたいていの人は、コンピューターでやってみるんですね。でもコンピューターなくてもわかる数学者もいるんですよ」

 

「気象とかやと、初期値鋭敏性があるから、初めの状態についてアンサンブル平均とるわけですよね。そういうプロセスしかないんですか」

 

「エルゴード仮説でよく議論されましたけれど、全体的には安定なシステムであると仮定してやるわけですね。でも,どうしても小さくなりすぎると、実際の観測とか機械では限界がありますよね、数学的には限界はなくても。だから、平均化とか、そういうのは結局必要になるわけですね。カオスの性質をうまく利用して、情報をとり出すんです」

 

「ゆらぎの平均化は、プランク定数ですか?*2

 

「いろいろな試みがあると思いますね。量子的なカオスとか」

 

 思い切って、僕は尋ねてみた。

「入口とか出口とか、盛田さんの頭のなかではどうなってるか教えてもらえません?(笑)」

 

「出口か入口かはわかんないんですよ。どっちもどっち、とは思っていますけど、たとえば、可逆系のほうが非可逆系よりも難しい。始まりか終わりかも、わかんないね」

 

ますますなぞである。出口、入口、参加者の頭のなかにはいろんな絵が浮かんでいたことだろう。

 

 

*1 「ベロウソフ.ジャボチンスキー反応」のこと。ある種の化学反応で、振動現象が発生し、溶液の色がつぎつぎと移り変わる。カオス的なふるまいが観測される。

*2 測定のふるまいが一定値にならず、一定値のまわりをゆらいださまざまな値をとる場合、その原因として、量子的なゆらぎの可能性もある。量子論では、測定は確率的になるからである。もし量子論的なゆらぎなら、量子力学を特徴づける定数であるプランク定数が、ゆらぎの大きさを決めているはずである、という趣旨の発言。

 

 

 

生物学者の「カオス」

 

登壇者:藤本仰一氏

 

数学者の、まったくコンピューターも使わない講演の魅力にわれわれ聴衆は度肝を抜かれたが、カオスというものの本質を共有するには十分な時間だった。

もちろん、すでに全員がワインで酔っ払っているので,本当に理解しているのかはわれわれ自身にはわからないのかもしれないが。

 

 

盛田さんの講演のすぐ後、フルスペックのパソコンをとり出してきたのは、大阪大学で理論生物学研究室を主宰している藤本仰一さんだ。

 

生物学者、藤本仰一さん

 

カンパーイ、の挨拶から、藤本さんはいきなり,

 

「私はカオスに恩恵を受けて研究をしてきました。もっというと、研究人生そのものがカオスだ、と思っています」

 

(一同爆笑)

 

「人生がいかにカオスかという話がメインですので。まずは、 2重振り子っていう典型的なカオス現象があります。これは、さっき盛田さんがカオスっぽい、という言葉の 3つの性質をおっしゃっていましたが、 2番目の性質を簡単にみることができます。初期値鋭敏性ですね」

 

それを聞いて、私はすぐに質問してしまった。

 

「盛田さんの 3番目の性質はみえますか?」

 

「2重振り子の先端にLEDをつけると、運動の軌跡がみえるんですよ。それを録画してパターンを記憶させれば、みえるんじゃないですかね」

 

藤本さんの答えは、実際的な感じがする。本当にカオスの実験をいろいろとやってきたのだろうなと想像させられた。

 

「まず、カオスの歴史を振り返ってみましょう。旧約聖書の創世記の記述、そして荘子の内篇。湯川秀樹のエッセイにも使われています。物理と数学におけるカオスとはどんなものか、みてみましょうか」

 

藤本さんはスライドをみせた。

藤本さんのスライド「自然科学と工学に現れるカオス」

 

「ローレンツの方程式は、もともとはたくさんの変数があったんですが、最終的に3つの変数で、きれいなカオスが現れることを示したんですね。非周期的。実際に流体の実験でも、70年代頃から確かめられ始めました。水面の高さとか、そのフーリエスペクトルがピークをもたず、なだらかになってくる。そういうものが発見されたんです。

化学反応でも、さっき盛田さんの話で出てきたようなBZ反応にもカオスが発見されます。大きなスケールでみると、地磁気が反転する現象もカオス。黒が磁気が現在と同じ方向の時期で、白が逆の方向の時期です。岩石の磁性を測って、判明するわけですね。周期的ではないことがわかります。

振り子でも、強制振動を入れると、カオス的になる。これが、振り子の系での初めてのカオスでしょうね。あと,シャーレの中にマメゾウムシを入れて、世代を経て個体数をみると、グラフがガタガタする。ロジスティック方程式の離散化によって、モデル化できるわけですね。

こういったカオスで重要だったのは、『不規則性』ですね。たとえばローレンツは、論文の概要に『非周期的な解は小さな摂動を与えると不安定である』と書いています。それをきっちり証明したのがローレンツの業績ですね。これが盛田さんの第2の点です。それともう1つ重要なのは、完全にランダムではないということです。70~80年代の研究でわかってきたのは、何となく秩序があるということです。

たとえば、富田和久先生は、“ irregularity” (コヒーレントな不規則性)という観点からカオスの意義を唱えた。さらに、津田一郎と金子邦彦は、『複雑系のカオス的シナリオ』(1996)で、カオスは分析では理解できない何かを含んでいる。分析よりも『見る』ことにより、また『構成する』ことにより 理解されるものではないか、という考え方も唱えています」

 

 

突然、会場から質問が。

 

「みるのと分析と同じちゃいますか」

 

すると、ほかの声が上がった。

 

「人によって、みると違う感想がある でしょ。分析は、誰がやっても同じ」

 

藤本さんはそれを肯定して、

 

  「そうです、俯瞰(ふかん)してみたり、切りとってみたり、いろいろみれますよね。出たり入ったり、ガリバートンネルみたいな。そこが、カオスのおもしろいところでもありますね。僕はそういう、いろんな空間がどう組み合わさって、そしてそれを眺めたらどうみえるんだろう、そういう思いで、研究を始めました」

 

次のスライドに話を移した藤本さんは、いくつかの典型的な例を語り始めた。

 

藤本さんのスライド「流れに沿った乱れの増大と秩序の形成:移流不安定性」

 

 

「カルマン渦ってご存知ですよね。流れのなかに棒が立っていると、棒の後ろでは乱れが増幅するのだけれど、それが渦の秩序的形成を生んでいる。飛行機からもみえますね。物理的には、簡単な方程式でこのような現象をつくることができます。実世界でも知られていて、たとえば交通流。料金所から出てくる車の流れにはノイズが含まれている。で、車のダイナミクスは、前の車がブレーキを踏むかどうか、という簡単な原理で決まってくる。それで、 最終的に渋滞という現象が発生する」

 

紀本さんがボソッと、「寺田寅彦の世界ですな」と口を挟んだ。

会場にうなずく人が多い。

 

「あるいはですね、バイオロジーの系では、作用が 1方向に及ぶ化学反応をみると、似たような方程式が出てきて、ノイズの増幅が起こり、秩序的な構造が形成される。流れによるノイズの増幅が秩序を形成するんです」

 

「あのぅ、交通流の例で、秩序が形成されたというのは、何をもってそうわかるんですか」

 

「車の密度をみると、初めは均一だったのに、その均一さからゆらぎが、だんだんと不均一になって、渋滞が形成されるんですよ。その渋滞を秩序ってよぶわけです。もちろん、われわれ人間には、渋滞はイヤなもんではありますが、このコンテクストでは秩序ですよね」

 

いろいろなカオスの現象を教えてくれた藤本さんは、ついに、自分の人生にそれを重ね始めた。

 

「僕が M1だったときに、指導教官から毎日、『君は何に興味があるのかね』っていわれ続けていたんです。それで僕は、『人と出会い,少し相互作用して、また別れる、そういうのに興味があります』といってしまったんですね。そしたら、指導教官は『うーん,詩だなぁ』っていうんですよね」

 

会場から笑いが起こる。

 

「これは、カオス的遍歴に似ているということに気づいたんですよね。あるときには巻きついてしばらく滞在するんだけど、そのうちそこから離れていく。また、違うアトラクターにしばらく滞在する。いつ動くのかは、予想が難しい。人生は、カオスですよね」

 

名言や……と会場の皆が感心。

そして、何と、藤本さん自身のカオス的人生が赤裸々に披露された。

 

「大学院生の頃から、世界のいろんな場所を僕はウロウロしてきました。世界中にいろんな民族がいることとか、素晴らしいと思っていたんです。中国の黄土高原の農村社会の情報伝搬力学とか、土壌侵食パタン形成の力学とか、現地に行って研究を試みました。そのあと、カオスのサイエンスとアートとの融合も、試みました。川面に数値計算で生成したカオスの映像を写したり、とか」

 

くしくも、その後は、藤本さんのアート作品の上映会へと突入していった、第2回『しゅんぽじおん』。

藤本さんの人生のカオス度の高さに、会場は心を奪われていた。

 

理学の饗宴『しゅんぽじおん』は、さまざまな専門性をかき混ぜて、新しいプリンシプルという秩序を生み出そうとする場である。じつは、それはカオスそのものである、と、盛田さんと藤本さんは教えてくれた。

 

次回もどうなるのやら、楽しみである。