大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター大阪大学大学院理学研究科附属基礎理学プロジェクト研究センター

伊藤幸成特任教授(理研・理学研究科連携プロジェクト拠点)が、これまでの糖質化学研究、特に糖鎖の立体選択的合成、糖タンパク質品質管理機構解明への化学 的アプローチ、そして、340報を超える論文発表により、The 2021 Claude S. Hudson Award を受賞されました。

授賞式は、2021年3月21日にSan Antonioで開催される2021 Spring ACS national meetingで執り行われる予定です。
伊藤先生の御受賞心よりお祝い申し上げます。

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「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

今回で第11回目となるしゅんぽじおん。テーマは「凝縮」。

理学部の中ではこの「凝縮」という単語を一つで分野により様々な現象を指す。今回は物理の田島先生、化学の佐藤先生のお二人による話からこのテーマに迫っていく。

 

一人目の話者は田島節子先生。物性物理の分野で活躍されている。

最初の切り出しで、先生は凝縮を難しいものだと表現した。というのも、「凝縮とはなんですか」という問いはそのまま凝縮系の物理である「物性物理とはなんですか」の問いに置き換えることができるためであるという。一言で言うにはなかなか難しいようだ。

物理学における「凝縮」がどんな場面で出てくるかというと、例えば物理の分野(例えば素粒子物理など)で出てくる名称のことであり、以下三つのようなおおよそ同じ分野でありながら様々な名前がついている固体物理学、物性物理学、凝縮系物理学の中にも出てくる。これらは英語でcondensed matter physicsと呼ばれていて、物理の分野では「凝縮」と聞くとここをイメージされるらしい。

凝縮系の研究とは究極の物質を求める素粒子と違い、それがたくさん集まった(具体的には1〖cm〗^3あたり10^23個)時にどのような振る舞いをするかを見る学問であると先生は語られた。実は粒子はたくさん集まると一個の粒子と違う振る舞いをするのだ。

そういう話をして先生がスライドに出されたのはアンダーソンという物理学者。彼も凝縮系物理学を専門とし、ノーベル賞を受賞するほどの偉大な科学者である。彼がNatureに出した論文タイトル”More is different”はアメリカ内で物議を醸し、アンダーソンがアメリカ哲学会の会員にならざるを得なくなった。それだけ物がたくさん集まると動きの予測が難しいらしい。

宗教的な問題として取り上げられたとの先生の発言に、会場では笑いが漏れた。物がたくさん集まると動きの予想ができないと捉えかねられない論文タイトルは神がいる/いないの論争になったようだ。

「アンダーソンはこの問題に勝ったのですか」

という質問に、先生は流石にわからないとおっしゃられ、再度会場に笑いが起こった。

粒子がたくさん集まると1+1=2のような単純な動きではなくなると先生は語る。これを物理の用語で創発現象と呼ぶ。

一個一個に注目することももちろん大事だが、それだけでは集まった時の物質を記述することはできない。個々の粒子に対し運動方程式を立て、それを足し合わせれば全体を記述できる―――という単純な話ではない。しかもたくさん集まると協調現象のようなものも起こるらしい。

電気伝導を例に、先生は説明を始める。

「束縛電子と自由電子を用意し、電場をかけると自由電子が一気に同じ方向に動き出し電流が流れる。これが、電気が流れる仕組みである………と言われてはいますが」

スライドを指差し、先生は次のように続ける。

「一個一個の電子は一斉に同じ方向に同じ速度で動いているのか、というと実はそうではなくランダムに動いている。しかもその速度は電流のスピードよりもはるかに速い」

電流の要素たる電子のスピードが電流よりも速く動いているとはいったいどういうことのなのだろう。頭の中に疑問符が浮かぶが、先生がすぐに補足される。

「Averageとしてみれば相対としてある一定電流が流れている、というわけです」

なるほど、確かにこう考えれば電子ひとつに注目すると電流よりも速いスピードで動くという特徴が、それらが集まって電流となった時とは全く違うということがよくわかる。今までの説明で言えば電子が素粒子にあたり、電流が物性物理にあたるということなのだろう。

次の話題として先生があげたのは狭い空間に物質が集まるには大きな力が必要だろう、という話だ。原子のサイズを考え、物質が凝縮した状態を考えて話題は展開していく。

ここで上がるのが「なぜ固体は固体としてあるのか」。言い換えれば「なぜ原子が1〖cm〗^3あたり10^23個も集まっていられるのか」という問いである、と先生は言う。

このようになる仕組みは電子だけを考えていても解決しないようだ。電子には互いに斥力が働くのだが、集団で集まると電子は一様に集まるのではなく偏析する。電子が集まった時に金属になるとは自由に動くことのできる電子が存在するということなのだが、凝集すると詰まっている状態となり、電子は自由に動けなくなる。この時(書き手として驚いたのだが)物質は金属ではなく絶縁体になる、ということがしばしば起こるらしい。会場でもこのことに疑問を持ったのか、何人か質問をぶつける。

「みんなで動けば動けないことはないのでは」

「理論なら動くけど、現実ではそううまくいかないのかもしれないですね」

途中、凝集・凝縮・偏析をそれぞれ英語でなんというのかという議論や、分野によって使う単語が違うような、と言ったような発言が飛び交った。

 

次のスライドでは、超伝導を起こす金属についての説明がされた。

超伝導を起こす金属というのは理論が先にあって実験によって確認したというよりも、実験で先に見つけられたものに理論を合わせていくことで発展してきたようだ。超伝導とは見方を変えると電子がたくさん集まっているにも関わらず電子同士で引力が働いているように見えるらしい。これを説明するためにたくさんのモデルが提案されているが、そのメカニズムに関する決着はいまだについていないと先生はおっしゃる。

ここで超伝導の例として、高温超伝導が挙げられた。少しずれると絶縁体になる可能性が高いとされているのだが、そのギリギリと突くことでエネルギーを高めたまま(高温でも)超伝導を再現できる。この、超伝導状態と絶縁体状態が紙一重にあるものがエキゾチック超伝導と呼ばれている。書き手としては超伝導といえば極低温環境で再現される物質だという印象が強かったが、様々な理論や実験によってほぼ室温においても超伝導を維持できる物質があるということに驚いた。

最後におまけとして、物質を超高圧下に置いたときにどうなるかというスライドが表示された。

電子が少ない原子を金属にできたのなら、理論上室温超伝導を再現できると考えられている。

「周期表の中で一番軽い元素は水素、つまり水素を金属にできたのならいいけど、ことはそう簡単には行かないです」

押してダメならもっと押す、と阪大の高圧研究室でも周期表を片っ端から高圧下に置いて実験をしているが、リチウムやカルシウムではできたものの水素での成功では世界でもどこもないらしい。それならば水素そのものではなく水素化合物を高圧下に置いてみてはどうだろう、と海外の研究室で行われた研究がうまくいったとの報告が上がっていると先生は話す。

「水素の化合物として硫化水素を選び、それに圧力をかける(170GPa)とH_3 Sになります。普通では起こらない形ですね」

レフェリーに論文を通してもらえないと学会で声を聞いたと話す先生の発言に、会場では笑いが起こった。このように成功例が一つ見つかるとその周辺を全員で探し出すため、どんどん新しい超伝導物質が見つかったとスライドの表に超伝導物質が追加されていった。高圧下という条件下があるとはいえ、室温超伝導ができるということがわかったということは大きいと先生は話された。

会場では新しい物質が追加されるたびにおお、と声があがっていた。

凝集という話から超伝導まで幅の広い話になりましたが、と田島先生の挨拶を最後に前半の会は終了した。

 

二人目の話者は佐藤尚弘先生。高分子を専門とされている。

「先ほどの田島先生の話の時にも凝縮の定義とは、という話が出ていたと思うのですが、私はシンプルにこう思いました」

そう言ってスライドに出てきたのは高校の化学の教科書でも出てくる物質の三態の図だった。

「一番大元かなと思っています。物体が気体から液体になるのには凝縮という名前がついています」

高校の頃の知識だったこともあり、聴衆の間ではそういえばそんな言葉もあったなという声がちらほらと聞こえてくる。

先生は周囲の反応を見ながら、しかし気体から液体に物体が変化することは普通はそう簡単にはならないと説明する。過冷却蒸気などもその例だ。核があって、それが成長して液滴になるというのが凝縮の簡単な説明だが、最初の『核ができる』というところがなかなか難しい部分であるらしい。

「高分子の分野でも凝縮という言葉は一応ありまして」

一本の高分子、つまり原子が共有結合で非常にたくさん(何百、何千)繋がった分子において完全結晶と呼ばれる真っ直ぐな状態が、炭素Cの単結合が回転することで高分子が曲がり、ランダム構造となる。高分子は気体になることができないため、溶媒に溶かすとバラバラになって一分子として存在できる。

「しかしこの溶媒の質を悪くしていくと、つまり高分子と溶媒の相性が悪いと、高分子が溶媒と触れ合おうとせずにギュッと縮まって溶媒との接触をできるだけ避けようとします」

この、『ランダム構造の高分子がグッと縮んだ状態の高分子に変化』することを高分子における凝縮と呼んでいると先生は説明する。高分子では有名なストックマイヤーが提唱した言葉で随分と古いらしい。また、この縮まった状態の高分子の状態をグロービル状態と呼ぶ。ここまでの話で凝縮という言葉には広がった状態のものが小さく縮まろうとする変化のイメージがあるのではないかと思った。

高分子が勝手に縮まるという部分に引っかかる先生方が多かったのか、どんどんと質問が飛び交う。中でも「核があって分子が集まってくるわけではないのか」という質問に、佐藤先生は次のように答えていた。

「この凝縮というのは、一つの高分子が溶媒に溶けているだけでは起こらず、数がたくさんないと起こらないのではないかという風にも言われています」

一応、溶媒をすごく薄くすれば一つの高分子でも凝縮するという報告はありますがあまり信じられてはいません、とのことだった。

ここで少し高分子の大きさの話に移った。

「高分子の大きさというのは普通端から端までの距離の平均で表すのですが、のびきり鎖の場合には結合間の距離×結合の数、ランダムコイルの場合にはそれがランダムウォークになります」

高分子は結合の数が途方もなく大きいため、のびきり鎖とランダムコイルやギュッと縮んだ状態ではその大きさが大きく変化する。

次のスライドではタンパク質の話になった。タンパク質も高分子であるが、今まで出てきた高分子との大きな違いは、タンパク質は二十種類のアミノ酸の共重合体であるということだ。一種類のモノマーからできている高分子とはその複雑性が大きく異なることは直感的に理解できるだろうと思う。ここでグロービル状態とタンパク質のフォールディング(特定の立体構造に折り畳まれる現象)を比較していこうとスライドが変化する。

「アミノ酸の重合体であるタンパク質は疎水的なアミノ酸と親水的なアミノ酸が共重合してできている。水のような媒体では疎水性の部分が集まって親水性の部分は外側に、という風になり、これがタンパク質のフォールディングと呼ばれます」

生物の先生が会場にいらっしゃらないことを確認して笑いを生みながら、佐藤先生は説明する。

「こういうタンパク質、ポリペプチドが球状構造を取るのは熱力学的に安定だから、自然に球の状態・形になります。というのが元々の説だったのですが、最近はそうでもないらしくて」

そう言って先生はスライドに書かれた図を指差してさらに説明を加える。

「シャペロンというタンパク質があって、この窯になっている部分にタンパク質を入れることによってフォールディングが起こるという説や、輪っかみたいなところを通すことによって起こるといったようなメカニズムが提唱されています」

これがヘモグロビンであれば酸素を運搬するという機能を持っているのだが、この機能を持たせるためには特定の構造を取らせないといけない。前までの理論だとこの特定の構造に勝手になるというものだったのだが、最近ではそうでもないという風に言われているらしい。この手のことに詳しい聴衆側の先生から、タンパク質が熱平衡状態になることは信じられているとの補足が入った。

ここでタンパク質と溶媒のシミュレーションをしてみました、と次のスライドになった。親水基と疎水基の割合を50:50にして行った動画で、タンパク質が縮まっていく様子に会場からはおおという声があがった。

どんな風にシミュレーションを行ったのか、まとまるまでに時間がかかっているのは何故なのかという問いに関して疎水基の量が多いせいかだったり、熱浴はどのようにしていますかなど会場から質問が飛ぶ。ただシミュレーションの回数が5回だったこともあって確実なことが言えないと先生は答える。

シミュレーションのいいところは配列をこちらで把握できるということだと説明する。最終的に目指したい高分子の構造にならないということがあっても、配列がわかっているためどこが問題かがわかるのが利点であるようだ。

最後のスライドで、タンパク質を人工的に作るのが夢だと先生は語られた。しかし、そのためにはまだまだ課題が山積みであるということはこれまでのスライドの内容を見ても明らかである。現状のタンパク質の状態から、何故タンパク質がエントロピーが低い安定な方向へ進化したのか、その逆算を辿ることは現段階の合成高分子の分野ではとても難しい。いずれできたらいいことではあるが、何年かかることになるかな、と佐藤先生は笑いながらおっしゃった。

前半後半で同じ言葉を使いながらも全く違うアプローチで行われた発表は、盛況のうちに終了した。次のしゅんぽじおんではどのような発表が行われるのか、とても楽しみである。

 

(文責: 川上結生)

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

しゅんぽじおん−−先生や生徒が一つの部屋に集まり、分野の専門家のお話を聞いて質問・討議をする「それぞれの専門知識を使ったお話の場」だ。

 

といっても、講義や授業のように真面目に話を聞くという場ではなく、ワインとチーズを片手にスピーカーの話を聞き、気になったことを質問するという大分緩やかな場である。

 

今回で10回目を迎えるしゅんぽじおん、そのテーマは「相似とは」である。話者は理学部化学科の深瀬浩一先生、そして情報科学研究科 の和田昌昭先生である。

 

「みなさん、ワインとおつまみは取りましたかー。始めますよー。」

 

司会が会場に声をかけ、少し騒がしがった場が1人目の話者である深瀬先生に注目した。

そうして始まったスライドの1枚目は「相似」をWikipediaで調べてみました、というものであった。

 

「さて、Wikipediaで相似という言葉を調べてみると、次のように出てきます。」

 

全員がスライドに注目する。なぜ最初に言葉のことを話すのだろう、という空気が流れた。

 

「相似を調べると、数学、物理学、生物学には相似という言葉があると書かれています。

 しかし、私のやっている『化学』には相似という言葉がないのです。」

 

化学にだけ『相似』という概念がない。理学の中でただ1つ相似の概念が存在しないという奇妙な状況に、会場からは少し笑い声が漏れた。

しかしすぐに空気が変わる。何故化学にだけ『相似』がないのか、私も含め会場の誰もが疑問に思ったらしい。

 

「相似、を英語で調べてみると、”Similarity”と“Analogy”という2つの単語が出てきます。

 日本語でいう相似とは”Similarity”のことを指すのですが、化学において『相似』に当たる単語は”Analogy”なのです。」

 

なるほど、使用している英単語が違うのか、と私は納得した。

深瀬先生曰く、化学において数学のような『幾何学的な相似』を作り出すことは不可能であるらしい。ペンタセンやヘキサレンなどは似ている、というのが化学屋の感覚ではあるそうなのだが、それは相似とは違うようだ。

 

このような説明をした後、深瀬先生は化学における『相似』を数学物理生物と分けて『機能の相似』だと説明した。

つまり化学における『相似』とは構造式が似ているというものではなく、機能が似ているということだと言う。

 

ここで、機能の紹介をするためにスライドが変わった。

出てきたのはケシの花と種のイラスト。ケシが当初麻酔として使われていたアヘンの材料であるためである。

アヘンの構造式を例に出し、これが痛み止めとしての作用を生み出す部分、などの機能的な説明を行っていた。

しかし問題がある。アヘンは中毒性が高く、麻薬としての作用があるということだ。これでは医療の現場で使うことはできない。

それではアヘンに変わる新しい化合物を紹介しよう、とスライドが次に移る直前。

 

「みなさん、ケシの種は購入できますが育ててはダメですよ。法律に引っかかりますからね」

 

深瀬先生の言葉に会場が笑いに包まれた。

 

次のスライドではモルヒネ(これも麻酔作用があるが中毒性が高い)の構造式が現れた。そして似たようなものとしてメチオニンエンケファリンの構造式も並んでいた。このモルヒネとメチオニンエンケファリンは鎮静作用の相似、そして構造の類似があるのだ。

メチオニンエンケファリンとは、激しく運動すると出る鎮静効果のあるもので、ランナーズハイなどの時に分泌されるらしい。

 

「ということはなんどもランナーズハイになっていると中毒になって病みつきになっちゃうんですか?」

 

その会場からの質問に周りが笑いだす。深瀬先生も笑いながら、

 

「メチオニンエンケファリンはよっぽど激しく運動しないと出ないんですよ。疲れた体に、疲れを感じさせないための物質なので。

 でも、なんどもやっていると少しの運動で分泌される………かもしれないですね。」

 

と答えた。この回答に会場の人も笑いながら隣の人と顔を見合わせていた。運動する人には経験のあることなのかもしれない。

深瀬先生は、モルヒネでは中毒性があるためこのままだといけない。そのため、化学屋は似たような鎮痛剤を開発してきたと仰った。

ヘロイン、オキシコドン、それ以外にもいまだにいろんな人が開発を続けているようだ。

 

話は変わり、機能の似たものとしてステロイドホルモンの話になった。その中には男性ホルモン、女性ホルモンの構造式もあった。

その2つをよくみると、Hが2つ追加であるかないかだけの差しかなかった。会場がこの小さな違いに興味を示し、先生の話を熱心に聞いている。

 

「構造がここまで似ているのに、効果が違うっていうのはどういうことなんでしょうか?」

 

会場からの質問。これに対して先生は、

 

「この2つのホルモンの差は小さいけれども、受容体が受け取るホルモンが違うので、効果が違うんです。」

 

へー!と感心する声があちこちから上がる。小さな違いでも受容体はその違いをしっかりと区別しているらしい。人体の神秘だなと感じる瞬間であった。

 

話が進み、話題は深瀬先生が実際に行っている研究に移った。

 

「ここに大腸菌リピドAという、すごく毒性の強い大腸菌の構造式があるんですけど、」

 

そういってスライドに表れた大腸菌リピドAの構造式。話を聞いていると、この構造式で特徴的なP(リン)を取り除くと、この大腸菌の活性がマイルドになるらしい。これを応用して作られた薬の1つが、話題になっている子宮頸癌の予防ワクチンに使われているようだ。

また、大腸菌と聞くとO-157のような毒性の強いもののイメージがあるが、実は大腸菌のほとんどは病原体ではないらしい。ならばなぜ大腸菌が病原体となることがあるのだろうか。不思議に思っていると、説明があった。

 

「強い病原体だと、すぐに免疫が反応して攻撃されてしまうので、活性をわざと弱めているんです。そうしてギリギリ攻撃されない毒性を攻めているんです。その例の1つがカンピロバクターです。」

 

そうなのかという声や、カンピロバクターで食中毒になったことあるわーという声が会場からちらほら聞こえてきた。

その毒性が免疫のギリギリを攻めて生きながらえようとしていると考えると、免疫と菌の戦いとは過酷なものなのだなと思った。

 

 

そのほか、免疫細胞の中で生きている「共生菌」の存在や、生体分子ネットワークなどの話があった。

特に酵母のインタラクトーム(細胞内全ての分子間の相互作用)を可視化した画像がスライドに表れた時は会場から様々な感想や意見が上がったが、深瀬先生自身の

 

「これを見てもすごい、ということしかわからない。」

 

という発言ほど、会場に笑いが起こった場面はなかっただろう。

そうして会場に様々な議論が起こりながら、1人目の話者である深瀬先生の話は終わったのである。

 

 

一度小休止を挟み、会場がワインとおつまみを補充してしゅんぽじおんは再開した。

2人目の話者は和田先生。情報科学研究科とあるが、理学部でいう数学科に似たようなことをしていると思えば良いらしい

そうして簡単な自己紹介の後に、和田先生は次のように仰った。

 

「最初持ち時間30分って聞いていたんですけど、すでに予定時間過ぎてますね。」

 

実は予定の時間では1人30分の持ち時間のはずだったのだが、この時点で開始から1時間経過していた。しゅんぽじおんでは大体いつも通りのことなので気にしてはいなかったが、改めて言われると確かに、と笑ってしまった。

 

仕切り直して数学的な視点から、「相似とは」というテーマで迫っていく。

 

「みなさんも相似といえば、中学校で習った合同と相似が思いつくんじゃないかと思います。」

 

そういってスライドに表れたのは合同と相似の条件。この条件というのは紀元前に書かれた幾何学原論にはすでに書いてあった、という話から始まった。数学でよく使われる公理、定義、証明による議論の進め方というのは、この幾何学原論のことからあまり変わってはいないのだそう。物理や化学、生物の人にとっては考えられないことである。

 

和田先生の話によると、一口に『相似』といっても複数の意味があるらしい。

まずは『相似』が出てくる数学の分野として、幾何学から迫っていくようだ。

 

次に出てきたのがFelix Kleinのエルランゲンプログラムの話である。これが何であるかというと、幾何学というのが何なのか・どのように研究をしたら良いのかという指針を示したものであるらしい。

 

「Felix Kleinは幾何学のことを次のように言ったんです。幾何学とは『変換群によって不変な』図形の性質の研究である、と。」

 

この話が始まると、会場は和田先生の話を真剣に聞く空気に包まれていた。数学に詳しくない人でも、何か惹きつけるものがあるようだと思った。

 

ここでこの『変換』と『相似』に関して、先生はどんどんと説明を加えていく。

 

「相似変換、というものが幾何学にはあるのですが、これは回転と平行移動とスケール変換を合わせたものなのです。これを相似幾何学という風に言います。」

 

これ以外にも様々な変換があるとスライドで紹介があった。変換に種類があるというのは、エルランゲンプログラムによって生まれたらしい。つまり、ユークリッド以来ふわっとした定義しかなかった幾何学というものに、エルランゲンプログラムは様々な種類付けを行ったというのだ。私は、純粋にすごいことだと感じた。

 

スライドが映り、少し話題は変わった。Leonhard Euler、物理でも有名なこの人の名前が出てきたとき、会場にいた物理学科の人々がスライドをよく見ようしていたのが視界に移った。和田先生が次にどんな説明をするのか、私も楽しみだった。

 

「Eulerの名前を出しました。ただこれから話すことは別にEulerが発見したというわけではないんですけど。」

 

発見したわけじゃないのか、と私は内心突っ込んでしまった。ただ、ここで言いたいことは人のことではなく、次に出てくることなのだろうと構える。

 

「平面状の相似変換は複素数の一次式で表現できるんです。」

 

この説明に会場ですぐにわかった人と、一体どういうことなんだと考えた人がいた。会場もスライドを見ながら、その意味を読み取ろうと真剣に考えているようだ。和田先生はすぐに追加で説明を加えた。

 

『相似』という概念は幾何学的なものだったが、一次式で書けるということによって代数の概念としても扱うことができるようになった。

 

まとめるとこのようなことらしい。この概念の導入によって、正十七角形がコンパスと定規で描けるという事実が代数の証明で発見されたりしたようだ。図形的なことでは見えてこなかったことも、式で表現すれば見えてくることもあるということは、ある問題を別のアプローチから解くことによって解決したということになる。数学も最初から全てが繋がってはいなかったということに少なからず驚いた記憶がある。

 

次に出てきたのはBenoit Mandelbrotのフラクタルという考えだ。フラクタルは異なる2つの縮小相似変換によって自分自身の一部と相似な図形のことらしい。文字で書くとよくわからないが、スライドにあったイラストや野菜のロマネスクなどを見ると、何となくイメージをつかむことができた。

 

「実はフラクタルには数学的な概念はないんです。というより、正しく定義ができない。」

 

和田先生がそういうと、会場からへーっという声が上がった。直感的にはわかることでも、数学的に厳密に定義はできないようだ。

この概念はCGや数理生物学で流行った概念であるらしいが、数学的にはあまり研究されていない、と話された。

面白そうなのになぜ流行らなかったのか、そう思っていると次のスライドに答えがあった。

 

メビウス変換。August Ferdinand Modiusによる回転、平行移動、スケール変換、反転で生成され、複素数の一次分数式によって表される変換のことだ。これがフラクタル以上に流行ってしまったために、フラクタルは注目されなかったようだ。

 

ここまで数学的な話をしたところで、和田先生が宣伝させて欲しいものがあるという。

そして出されたのはOPTiと呼ばれる、和田先生が開発されたアプリケーションだ。直感的にメビウス変換を感じることのできる、無料アプリケーションである。実際に動く様子が紹介されたが、その模様の変化に会場が沸いていた。

その模様に関連して、紹介されたのは超ひも理論の曲だった。この超ひも理論の曲のCDジャケットに当たるイラストは、このOPTiによって書かれたメビウス変換の模様であるという。気になる方はAppStoreとiTunesを検索して欲しい。

 

2人目の和田先生の話が終わった後も、会場で色々な会話が行われていた。

第10回目に当たるしゅんぽじおんは盛況のうちに終了した。第11回はどうなるのだろうか。

(文責: 匿名学生)

 


 

今回で10回目という節目を迎えるしゅんぽじおん。

テーマは 「相似」とは?

登壇者は、理学研究科で、天然物有機化学を研究されている深瀬浩一教授と、情報科学研究科で最近は数理情報学を研究されている和田昌昭教授のお二人。どんな話が展開されたのか、振り返っていきましょう。

 

しゅんぽじおん前半は深瀬先生のターン。

Wikipedia引用から話は始まりました。

 

相似とは、“互いに似ていること”であり、

数学では、“図形の相似、行列の相似”が、

物理では、“相似則、力学における相似”が、

生物では、“相似”がある

(Wikipediaより)      

 

そこに、化学について記述はありませんでした。

 

「では、そもそも化学における相似の概念はないのか?」

 

実際はそうではなく、化学においても“活性”における相似が存在しています。また、数学、物理の相似は“Similarity”と、生物の相似は“Analogy”と訳されます。化学的相似は、どちらかと言うと“Analogy”の概念に近いそうです。深瀬教授は、このAnalogy的化学的相似を軸として、話始めていきました。

 

最初に出てきたのは、アセン類。化学における機能的相似の例です。

アセン類は、化合物の大きさによって、蛍光性を有したり、蛍光色が変化したり、赤外波長へ近づいたりとその性質が変化します。こういった着眼点により、化学では、いくつかの化合物を機能的に相似であると捉えています。が、非常に境界が曖昧であり感覚的な部分が大きいようです。

 

ここでの、

 

「化学には無限がない」「化学で扱うものは所詮有限である」

 

という深瀬教授の発言に、主に物理学科の聴衆から

 

「無限がないとは?」「無限がないのであれば熱平衡はない?」

 

というツッコミが殺到しました。食いつく箇所というのは、専門分野をよく反映しているみたいですね。

 

次は、ケシの花とその成分のお話。ケシの花はアヘンの原料ですが、ここで

 

「なぜ、植物の作る分子が麻酔効果をもっているのか?」

 

という疑問が生まれます。実は、1970年代、モルヒネを感知するレセプターが脳内に発見されており、これによりアヘン(モルヒネ)が人にも作用します。人間も、エンケファリンという脳内麻薬を分泌します。エンケファリンの部分構造とモルヒネの構造が類似していること。これにより、本来エンケファリンと対応するレセプターが、モルヒネにも反応し麻酔効果をもたらすのです。

 

ホルモンも話題に挙がりました。女性ホルモンは、男性ホルモンから作られており、違いはたった水素原子2つ分。これは、受容体の差異によって見分けられているんです。どうして人間がこういう選択をしたのかは不明ですが、生物体が如何に緻密な反応や構造によって構成されているかを思い知らされました。

 

化学物質においては、構造、活性がともに類似しているものばかりではありません。活性は類似しているが構造が大きく違うものや、構造が少し違うだけで反対の活性を示すものも存在しています。やはり化学の世界も、一筋縄では語れないのですね。

 

そして話は、タンパク質、病原菌、バクテリアと移っていきました。

タンパク質構造の3Dモデルを示しながら説明をする深瀬教授。どんどん説明して行くわけですが、タンパク質構造は3Dモデルや拡大図にしても複雑極まりないものです。(私も、授業中にタンパク質構造を見せられた時はポカーンとするしかありませんでした。)ということで、聴衆の皆さんも「わからんなぁ~」と言わんばかりに笑っていらっしゃいました。

一方、わざと活性を弱めて、すぐには自然免疫にやられまいとする病原菌の戦略には驚嘆しました。また、自然界には、免疫細胞内に生息し共生作用を示す珍しい共生菌存在するとのこと。深瀬教授、これを使って何かを企んでおられるようです。

 

話を聞いていく中で、化学的相似、“活性の類似性”という観点から化学を見直せました。普段はここの性質ばかりを見がちですが、時々俯瞰してみると別の物事が浮かび上がってきて面白いです。深瀬教授は最後に、“ネットワーク構造から細胞構造を導き出すことが化学の大きな目標の一つ”とおっしゃられていました。機械学習や計算能力が指数関数的に跳ね上がっていく現代においては、電脳空間に細胞を再現できる日もそう遠くないと思えます。

 

 

さて、しゅんぽじおん後半は、和田教授のターン。

 

和田教授は、大阪大学大学院情報科学研究科所属。情報科学研究科は、理学部数学科と基礎工学部の一部の研究室から創設された専攻とのことでした。

 

早速、

「情報学部はつくらない?」

と野次が飛び、

「私がどうこうできることじゃない・・・・。西尾総長が画策されているようですが。」

と、和田教授が応答。情報処理や機械学習がどんどん必要とされている昨今ですから、情報学部の創設は求められていることなのかもしれません。その後、今回の登壇依頼対して、色々思うところをぶっちゃけた後、

 

「(今日、言いたいことは)半分言った」

 

と笑いを取って、本題へ入っていきました。

 

“相似”とは? というテーマから、和田教授は「幾何学」をチョイス。著名な数学者を取り上げながら幾何学の世界を巡りました。

 

ユークリッド(?)

まずは、ユークリッドの幾何学原論からスタート。2000年以上前、ギリシャ時代に書かれた書物で、“物事の定義”や“公理”を元にした議論の手法が確立されたそう。2000年以上経過した現代数学でも、この議論の手法が用いられており、他に類を見ません。それだけ長期間変わることなく用いられているのですから、数学が如何に厳密な議論に基づいている学問であるかを実感できることと思います。

 

これ以降は、時代を一気に遡って18~19世紀の数学者が取り上げられました。

 

ヘリックス・クライン(1849~1925)

ヘリックス・クラインは幾何学に絶大な影響を与えた「エルランゲン・プログラム」を考案した方です。彼は、

 

幾何学とは、変換群によって不変な図形の性質の研究である。

 

として、幾何学を変換群ごとに分類しました。例を以下に挙げてみます。

 

合同変換で不変な図形の性質の幾何学→「合同」幾何学

相似変換で不変な図形の性質の幾何学→「相似」幾何学

射像変換で不変な図形の性質の幾何学→「射像」幾何学

同窓変換で不変な図形の性質の幾何学→「位相」幾何学

                      ・・・

 

現代も、この流れが受け継がれているそうで、その影響の程を伺いしれます。

 

オイラー(1707~1783)

現代数学に大きな影響を及ぼしたトップ5に入るらしい、オイラー。オイラーの公式には馴染みのある方も多いかと思います。さて、オイラーが生きた時代に幾何学と代数学とによる劇的な出会いがありました。これにより、

 

平面上の相似変換は複素数の1次式で表現される

 

ことが分かったのです。簡単に言うと、次のことが成り立つってこと。(たぶん)

 

回転             

平行移動       

倍のスケール変換 

 

相似変換はそれらの合成 で表現される

 

「こういう全然違った分野の概念が出会うことがあると、そこに面白い理論、深い数学が展開する」

 

と和田教授も熱弁されていました。この出会いによって、「正17角形の作図がコンパスと定規だけで可能だとわかった」というのは、個人的に非常に衝撃的でした。

 

その後も、マンデルブロットのフラクタル、メビウスのメビウス変換を取り上げながら、幾何学の世界を見ていきました。特にフラクタルは、一時期生物やコンピューターグラフィックで有名になりましたので、ご存じの方も多いかと思います。

 

最後は、和田教授自身の研究について。和田教授が開発し、AppleStoreで無料公開中のOPTi4.0は、メビウス変換を視覚的に捉えるための研究ソフト。実際に、操作して見せていただきましたが、そのプログラムが描き出す美しい幾何学模様やその変化に、感嘆の声とともに聴衆一同釘付けになりました。また、教授の

 

「理学部というところは、面白いからやっているわけで」

 

という一言に、理学部がどういう学部なのかが凝縮されているように感じられてならないです。しゅんぽじおんで登壇される先生方は、皆さん例外なく楽しそうに語られます。自分が「面白い、突き詰めたい」ことをされているというのを、毎回レポートを作成しながらヒシヒシと感じる次第です。

 

そして、最近の数学界については、発見を評価する時代が必要だと主張。20世紀の数学界は、これまでに発見された仮説や理論の証明ばかりに取り組み、そういう人ばかりが評価されてきたそう。でも、そろそろ発見を探さないと面白いネタが尽きてしまうという危機感があるそうです。証明だけでなく、発見も評価される時代になってほしい。そんな思いを語り、橋本教授とのコラボになる“超ひも理論の歌”を披露して終わりとなりました。

 

今回で10回目を迎えたしゅんぽじおん。初回からほどんど欠かさず参加している私ですが、前後の雑談・議論も活発化し、話途中の発言も増えてきていると感じています。どんな形であっても、このような集まりが続いていき、色んな人が巻き込まれていくことを願ってやみません。

 

(文責: 藤井匠平)

 

第11回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー「凝縮」とはー」を2019年11月7日の17時半から教育研究交流棟(理学J棟)3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第11回目は、「凝縮とは?」をテーマに、田島節子氏(物理)、佐藤尚弘氏(高分子)がネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

ポスターは「こちら」。

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

 しゅんぽじおん—先生や生徒が一つの部屋に集まり、分野の専門家のお話を聞いて質問、討議をする「それぞれの専門知識を使ったお話の場」だ。

 第9回目となる今回のテーマは「崩壊」である。話者は2人、物理学専攻の山中先生と化学専攻の篠原先生だ。私は1人目の話者である山中先生の話を聞きながら、見たこと感じたこと思ったことを書いていきたいと思う。

 山中先生は物理科の中でも素粒子実験を行う実験屋さんであり、テーマ「崩壊」に合わせて先生が話されたのは素粒子実験屋にとっての崩壊、つまり素粒子の崩壊である。話の導入では平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声~」と突然の音読が入り会場も何事かと、先生とスライドに注目している。そして春の夜の夢のごとし、まで来ると次にきたフレーズは「重い粒子も遂には軽い粒 子に滅びぬ(元は猛き者も遂には滅びぬ)」。粒子の崩壊につながり、会場は笑いとともに拍手が響いた。重い粒子は安定していないと軽い粒子になってしまうのを詩になぞらえていたのは、素粒 子に理解の浅い私でもとても面白く感じた。

 次のスライドで式と図が出てくると一番前に座っていた小学生くらいの男の子が先生に質問。まさか大学生と先生に紛れて小学生が参加していたとは思わなかったが、質問の内容も思っていた 以上にしっかりしていて驚いた記憶がある。先生もそれに対し真摯に答えていたので、小学生の方も納得してご機嫌だった。スライドが進むと次は粒子の崩壊にかかる時間、そして崩壊する際に ニュートリノと呼ばれる見えない粒子が崩壊の質量保存に関わっていることが説明された。物理 屋は粒子の崩壊の際に質量保存がされていないとは考えず、何か見えてないものがあるのだろうと いう発想になるのは普通の人にはない感覚なのかなと感じた。その後もパリティの破れの説明が図を用いて説明されたり、反粒子と呼ばれる物質があるんだよという丁寧な説明で素粒子をあまり知らない人にもわかりやすくなっていた。なるほど対称性が保たれていて良いなーなどと説明を聞いていたのだが、その説明の次にあらわれたのは「CPの破れ」、いわゆる対称性が破れてい ることもあるという説明だった。対称性を信じていた私は出たな例外!という気持ちになった。 この辺りの理解は難しかったが、物理も対称性がいつでも成り立たないということを理論に持ち出す段階になったのだろうということが推測できた。

 中盤、素粒子研究者にとっては切り離すことのできない理論である「標準理論」の説明になる。 素粒子はこの標準理論によって説明されるのだが、まだまだ未完成であるという。どういうこと なのだろうと話を聞いていると、宇宙ができた直後の、宇宙の最初の頃には反粒子が存在していたのだが、今の宇宙には反粒子が存在しておらず、時間が経つ中でどこかで対称性が破れているこ とを示しているとのこと。この対称性の破れが標準理論では説明ができず、この破れを説明するた めの新しい素粒子理論が必要とされているらしいのだ。その新理論のための手がかりを、山中先生は実験によって探そうとしている。実際に先生が行っている実験の機材や方法が写真付きでス ライドで説明されたが、人より大きい機械に様々なプラグや機械を差し込み、実験している様子 を見ることができた。そんな人より大きい機械はなんのためのものなのかというと、γ線を正確 に検出するためのもので、その設定をするだけでとんでもないほどの作業になるらしい。機械を説明しながら先生は「この機械はこれだけプラグ付いているんですけど、2ヶ月弱くらいだけで済 んだんですよね」とおっしゃっていた。果たして2ヶ月弱の期間を「だけ」で済んだと言っていい のかその感覚がよくわからないが、装置によっては半年以上かけてセットを行うらしい。

 会場内が「半年………?」と困惑した空気をだしていたが本当にその通りだと思う。

 最後に素粒子物理学における崩壊とは「新しい素粒子物理を探る道具」と位置付けて先生のお話は終了。この後発表中にあった実験のデータの誤差評価や今後の予測についての質問が多く寄せられ、先生も細かく説明していた。

 現在の理論である標準理論を正しいものを信じて疑わない、ということをせず、標準理論を超えて 全ての現象を説明しようとするための新しい理論を考える姿勢が、科学者としてすごく手本にな るなと感じた。

 以上が主観的な、第9回しゅんぽじおんの感想である。

(文責:匿名学生)


前半の山中先生の講話とお酒に酔いしれ、場は温まっていた。
司会者が雑談で盛り上がる参加者に着席を促し、ようやく第9回しゅんぽじおんの後半が始まった。

「山中先生なら、ああいう話(粒子の崩壊)をするだろうと思ってました」
山中先生の講演を見越したような篠原先生の一言に、会場が笑いに包まれた。

化学専攻である私にとって、崩壊といえば放射化学。大阪大学で放射化学といえば、篠原先生である。

放射化学を取り扱う篠原先生の講演の始まりは、
“サブアトムの世界 と その歴史”
放射化学が今日まで辿ってきた軌跡を、黎明期から現在まで遡った。

「物質は何からできているのか」

人は太古の昔からこの問いに向き合い、その答えを探し続けてきた。私も、幼いころこんな類の哲学的なことを幾度も考えたことがある。結局、明確な回答を出せたことはないのだが、人類は長い歴史を紡いでいく中で一つの答え、“原子”にたどり着いた。それが、約2世紀前のことであった。しかし、放射能の発見により、その原子ですらも崩壊することがわかった。これが、素粒子論の誕生と発展へと繋がっていくことになる。これまで幾度も篠原先生の講義で聞いてきた流れだが、やはり人類は中々に凄いことをやってきたと感じざるを得ない。

素粒子といえば、大阪大学では湯川先生と中間子論が出てくる。
篠原先生も、
「日本は、湯川先生の中間子論を始め、素粒子の研究分野においては強い。」
と一言。やはり大阪大学の先生方(特に理学部)は湯川先生のことを、どこかで意識していると再確認した。

そして、篠原先生が原子炉と原爆の写真を見せながら
「放射化学は、原子炉があるがこれ(原子爆弾)もあるから難しい」
とポツリ。会場に笑いが起こりました。

次のスライドへ移り、ニホニウムが追加された最新版の周期表を見せながら、放射性元素について語りだす篠原先生。

周期表を眺めていた橋本先生がふと、
「第7周期が完成したことは重要なのか?」
と質問すると、篠原先生は
「いやあ。 でも、めでたいです」
と回答。このやりとりに、他の聴講者も笑っていた。

講義が中盤に差し掛かる頃、放射性元素の「放射壊変」の説明に入っていく。元素は結合エネルギーを持っており、それは原子核によって変化する。これにより原子核の安定性が決まり、重元素の放射性壊変や核分裂が説明されるのである。

「(元素が)放射壊変したら放射線がでる。多くの人がそこばかりに注目するが、その裏で残った原子(原子核)は偉い目にあっている」
と力説する篠原先生。私の頭は“?”で埋まってしまった。続きを注意深く聞いていくと、

放射壊変後に残った原子核は

・100keV位(化学結合なら切れてしまう位)の反跳を受ける
・α、β崩壊では、電子の再編成や励起が起こり、場合によっては化学変化を起こす
・γ崩壊では、γ線を放出してもエネルギーが余って高電状態になる

つまり、壊変後、残された原子核はボロボロになっているのである。私もこれまで、放射性壊変では、放出される放射線ばかりに注目していた。しかし、残された原子核にここまで色々な影響があり変化があると知ってしまったら、注目せざるを得ない。

篠原先生は、この“残され(ボロボロになっ)た原子核に何か面白い化学があるのでは?”と注目し、研究しているのだ。言い換えれば、これまでの“原子が安定不変であること”が前提の化学ではなく、“そういった前提が成り立たない条件下”での化学を研究されているのだ。
他に、超重元素領域の短寿命、極微量原子の化学的性質の測定やエキゾチック状態の原子の研究についても言及されていた。ここで、篠原先生の講演は終了。ここから、司会者が止めるのを躊躇するほど、参加者との議論、そして、参加者同士の議論が白熱していった。

篠原先生の研究は、統計学が成り立たない条件下での化学であったり単一原子の化学であったりと、かなり特異的な化学であったと思う。私がこれまで学んできたものが、ほとんど通用しないような世界があること、それを知ることができただけでも有意義な時間であったと感じている。

(文責:藤井匠平)

第10回「(理学の響宴)しゅんぽじおん ー「相似」とはー」を2019年7月17日の17時半から教育研究交流棟(理学J棟)3Fミーティングスペースで開催します。
研究科内外の研究者(教職員や大学院生の みなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。

ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、 金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください。
第10回目は、「相似とは?」をテーマに、和田昌昭氏(数学)、深瀬浩一氏(化学)がネタ提供をし、その後、歓談(饗宴?)タイムになります。
堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。
皆様のご参加をお待ちしております。

ポスターは「こちら」。

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

 徐々に活性化状態へと高まっていった、第7回しゅんぽじおん(2018年11月12日)。今回は久しぶりの開催と相成ったわけですが、教員、学生ともに人数も集まり和やかな雰囲気から始まりました。今回のテーマは、「状態とは?」。登壇した藤原先生(数学)と尾田先生(物理)は、それぞれの分野における概念を武器に、このテーマに挑みました。  

 前半の藤原先生は、「状態」という言葉の定義からスタート。自然法則の発見を幾つかの部分に分け、数学的に分析していきました。その中で、「純粋状態」という言葉を巡り、物理と数学との間で議論が白熱。物理と数学とで「純粋状態」という言葉の定義が違うことによる見解の相違でしたが、教員同士の議論というものは、学生という立場からは新鮮でした。

 後半の尾田先生は古典力学と量子力学の比較からスタート。物理学的観点から「状態」というものが何であるか記述していきました。時々、定義の確認ややり取りがありましたが、しゅんぽじおんらしい光景でした。お酒のせいもあってか、参加者の口も思考もよく回っていました。

 今回のしゅんぽじおんは、登壇者と参加者が気兼ねなく議論を交わし場も盛り上がるなど、本来のあり方に一番近い回だったのではないでしょうか?これからも開催されるようなので、さらに参加者が増え議論が活発になって欲しいものです。

筆:藤井 匠平